アセンションの時代

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人間関係

さて、今日はまた別の内緒さんに頂いたテーマで書いてみたいと思います。

否定的な事ばかりを話しかけてきて趣味も合わないけれど、距離をおく事も出来ない状態で何かアドバイスがあればと言う様な内容です。

多くの人が、職場や家庭で同様の悩みを抱えている事であろうと思います。

最終手段としては、離職・離婚などと言う手段もあるのですが(親子では無理ですが)、やはりそれにはそれなりのリスクも伴う訳で、こうした場で無責任にオススメする様な事ではないかとも思います。従って、ここでは取りあえず、温和な路線で扱ってみる事にします。

現状の枠組みが続いて行く前提で、書いてみたいと思います。

ただ、私も身近でそうした関係を見ておりますが、実際問題としてはかなり難しい関係だと思います。

そうした関係の先には2つのタイプがあると思います。

1つ目は、否定的な相手を関係の主体として受け入れ、自分は耐えてそれを受ける立場に留まる。
2つ目は、否定的な相手は相手として、自分は肯定的にある。(対立的な形は出来るだけ避けて。否定的な人は自然と対立してくるものですが。)

これに2つのタイプを追加すると

3つ目は、相手を肯定的に導き、肯定的な関係を構築する。
4つ目は、それぞれの束縛から離れる。

3つ目は「例外的」な理想で、お互いの波動がそれ程離れていない時に、2つ目がうまくいくとこれに繋がることが稀にあります。4つ目は今回の場合はおいておく事にしますね。本当はこれが答えである状況も多いのかも知れませんが・・・。

う~ん、今回の記事は過去最高に書きにくい記事だなぁ。(笑)

私の場合は、相手が否定的でとかではないのですが、大きな価値観の相違によって離職も離婚も経験しました。それは正解だったと思っていますが、その過程ではやはり半端ではない不安や恐怖を乗り越えていく必要もあるのです。

従ってそれは、人に進められて選ぶ選択肢ではなくて、自分自身で選ぶ選択肢なのだと思います。

そういう意味で、4つ目を排除したのですが、う~ん。

自分を日常現実の中で、取りあえずの解決にまで導くのは簡単な事ではないですけれど、取りあえずそれを承知で思いつく事を書いて行きますね。

上の例では2つ目になるのですが、まず、「相手がどうかは置いておきましょう」。

自分がどうか?つまり、自分が相手に対して「否定的」な姿勢にある事が、自分の経験を生み出しているのです。

相手は相手。それによって自分のポジティブを崩すことなく、上手にそれを表現する事を楽しんでみるのです。

そして、相手の考えを耐えて聞くばかりでなく、自分の考えも相手に伝えるのです。ただ、その時の注意点として、相手に理解を求め無い事です。

それをどう解釈するかは相手の問題であり、こちらから押し付けるものではありません。押し付けコントロールしようとすると、そこにストレスが生じます。

自分に出来る事は、自分がどう生きるかを決める事だけであり、相手をどうこうしようとするのは、越権的な勘違いなのです。それは、出来る事でもありませんし、するべきでもありません。

自分がポジティブに生きたいのであれば、それに取り組む事です。自分が相手をコントロール出来ないように、相手が自分をネガティブにコントロールする事は出来ないのです。

ただ、相手のネガティブに、「自分の中に眠っていたネガティブが共鳴」して、表面化することはあります。

それは、「浄化するべきものが次々と浮かび上がってくる」今の時代、そこかしこで起こっている事なのです。

自分の外側に否定的な相手と言う言い訳を見つけて、そこに原因を押し付けて逃げ無い事で、その切っ掛けによって表面化した自分のネガティブな要素と向き合う事が大切です。

自分が感じる問題は、どんなに自分の外に問題があるように感じても、実は「100%自分の中に問題がある」のです。相手に原因を感じるのは、その「自分のネガティブ」を表面化させる「切っ掛けを相手が演じてくれている」からなのです。

そうして、魂の学びの機会を演出してくれる人を、「ソウルメイト」と言います。

例えば、離職や離婚と言う手段もあり、それに伴う困難とを秤にかけて現状を選択しているのはやはり自分なのです。自分の中にある価値観の優先順位が、今の経験を生み出しているのです。

親子である場合には、なかなか本当に離れてしまう事は難しいですが、それも言ってしまえば、だからこそ魂は親子と言う関係を選んで生まれて来たのです。その環境の中に魂が必要とする学びがあるという事です。

相手が否定的なので私が幸せになれない。こうした現状認識は誤っており、そこに囚われている限り「進歩・目覚め」は望めません。

自分の中に原因がある事を受け入れて始めて、スピリチュアル的な覚醒が進んで行く事になるのだと思います。

相手がどうあるかは、単に「自分に与えられた学びの機会」であり、その出された問題にダメだししている限りは、その問題を解くことは出来ないと言う事です。

相手がどうあるかを問題にする(出された問題にダメだしする)のではなく、「自分がどうあるかに100%意識を集中する」と、目覚めが早まっていくと思います。

まあ、それを日常現実の中にどう落とし込んで進めるかが難しく、誰もが頭を悩ませる訳ですが。

相手に合わせて耐えて自分を抑え込むのではなく、一緒にいない時間も含めた中で、トータルで自分らしい生き方を構築していく事に意識を向けていくと良いように思います。

ネガティブな要素に意識を向けると、それはどこまでも大きなものになって行きますが、ポジティブな要素(ワクワクやスピリチュアルな経験)に意識を向けてそれを大切に育てていくと、ネガティブな事にはあまり関心が向かなくなっていきます。

ポジティブな事に忙しくて、ネガティブな事に相手している時間が少なくなっていくとか。関係にもよりますが。

ブログ記事としての体裁上、既に承知されているような部分も混ぜ込んで書いて来ましたし、1つの参考で答えではありませんので、役に立ちそうな所を加工して利用してみていただけたらと思います。

では、健闘を祈ります。



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