アセンションの時代

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魂の視点から「受け入れ委ねる」

テーマを頂きましたので、今日はそれについて書いてみたいと思います。なんか、何を書こうか考えずに書き出せるというのは、気持ちがいいですね。(笑)

最初に、皆さんにも話の流れがわかる様に、大雑把な内容だけ書かせてもらいたいと思います。

自分はそれなりに充実した状態にあるのですが、離れて暮らす家族が大変な時期にあり、出来るだけの事はしているけれどお互いの生活環境もありそれにも限度があるようです。そのため、離れて暮らす自分だけが安泰にある状況に心を痛められている状況で、どの様にそれを受け入れていったら良いのかと言うような感じです。

こうした場合に時々あるのが、自分の問題は放っておいて、自分が幸せになれないのは周囲の人が自分に心配をかけるからだと言う方向に強く傾いてしまうパターンなのですが、内緒さんの場合は、そうではなくキチンと状況を把握しスピリチュアル的に取り組まれている方だと思います。

その2つのパターンについて、前者は「責任転嫁」の部分に問題があり、後者である内緒さんの場合は「エンパシー(共感能力)」の部分で浄化が起きているのだと思います。

共感能力は、波動の高い人の1つの特徴でもあります。

そうした人は、例えば、子供の頃などに、「人ごみに入ると酔ってしまう」経験を持っていた場合などがあるかも知れません。周囲の人々の感情を無意識に拾ってしまうことで、自分の感情がショートし、頭が痛くなったり気持ちが悪くなったりするのです。

まず、状況を把握する上で、前提として理解しておく必要があるのは、内緒さんは既に理解が出来ているようですが、そうした状況と言うのは、それぞれの魂が波動(スピリチュアル性)を上昇させるために自ら引き寄せている学びの機会だと言う事です。

私達は、永遠の存在であり、一時的に今の人生の中でそれぞれの経験をしているところなのです。

こうした理解は、始めは「知識として思考」の中に受け入れられる事になります。自覚されていると思いますが、内緒さんはこの段階にあるようです。

しかし、こうした経験などによってさらに段階を進むと、「叡智として信念」の中にまで浸透して行く事になります。そこが取りあえずの目標になります。

人々の持つ思考と言うのは、その場で考え出しているもののようであって、実はその奥に広がる信念によって反射的に方向性を持たされているのです。

信念において、魂を含む多次元世界の現実が受け入れられると、全ての経験は反射的にそうした前提に基づいて解釈されるのですが、それがまだ思考の段階で止まっていると、まず物理的世界の常識で物事を解釈してから、その思考との間で解釈を議論する自問自答が起きるのです。

それを乗り越える事で、信念が新しい世界観へと徐々に切り替わって行くのです。

あれっ?もともとのテーマは何だったっけ?話がそれてるかな?

えーと、だから、今進まれている世界観の切り替えは、まだもう少し先があるという事ではないかと思います。

それで、現状に話を戻して考えて見ますと、言われるとおり、それはそれぞれの魂の学びとして引き寄せているのであり、そうした世界観が信念にまで浸透していれば、そうした学びの最中にある状況を「否定」する必要が無くなるという事です。

しかし、思考の段階までに留まっている場合は、物理的な世界観によってそれを反射的に「否定」して、それから新しい世界観によってその否定を打ち消そうと努力をします。

それは、信念までに新しい世界観を深めるための必要な過程だと言う事です。

多次元的な世界観から物事を捉えれば、それはそれぞれの魂がスピリチュアル性の向上を求めて自ら引き寄せた経験であり、それを否定する理由は無いのです。

例えば電子ゲームに置き換えてみます。ゲームをコントロールしているのは魂で、画面に映し出されているキャラクターが肉体的な自分です。

私達はキャラクターになりきって、肉体的な視点から苦悩しますが、ゲームを有意義に楽しみ学びに活かすには、バランスよく魂としての視点を保持する事も大切なのです。

そして、同じ経験を支える魂(ソウルメイト)として、出来る範囲でのサポートが出来れば、あとはそれ以上、その魂の学びに「介入してコントロール」しようとする必要はないのです。

悩みや苦しみの多くは、自分は「コントロール出来ていない」と言う思いから来るのです。

従って、コントロールをせずに各自が引き寄せた学びの機会として「受け入れて委ねている」人は、あまり苦悩する事はありません。それは、その学びの機会を「否定」しないからです。

無条件の愛と言うのは、そうして全てを「受け入れる愛」なのかも知れません。

「苦しむ家族は嫌だ」「幸せな家族でいて欲しい」

しかし、苦しんでいようと、幸せでいようと、無条件でその存在・経験を受け入れるのが、本当の愛なのかも知れません。

ただ、そのためにはやはり、魂を含む多次元的な世界観を「信念」にまで深めなければ難しいのかも知れません。

物質世界が存在の全てだと言う思いがあれば、魂の学びと言う考えさえ成り立たないのですから。

例えば、瞑想などによって物質的世界から離れた感覚(五感を閉じてリラックスし、ただ感じるものに委ねる状態。座禅を組んで修行する必要はありません。(笑))を日常的に経験していたりすると、魂などと言う世界観を信念にまで深めやすいと思います。

やはり、理屈や考え方だけでは人間の信念と言うのはなかなか切り替える事が難しくて、「実感」を得る事が出来れば、百聞は一見にしかずで、すんなりと進みやすくなるんですね。

そんな感じです。

貴重な経験を、ここに提供してくれた内緒さんに感謝します。

これを「否定」したら、「面倒くさいなぁ・嫌だなぁ」と言う事になってしまいますよね。もちろん、そうは思ってませんよ。(笑)

同じように、そうして貴重な経験を支えてくれている家族に「感謝」して「与えられた環境」を受け入れてこそ、その経験が自分の学びとして活きてくるのだと思います。それが、家族に与えられる一番良い影響なのかも知れません。

肉体的な視点からに留まらず、魂としての視点からも家族を受け入れ与え合えたら理想的ですよね。

かなり理解の進まれている方なので、おせっかい的な部分も多々あったと思いますが、ブログの記事と言う体裁上わかりやすくあえて書いたところもありますので、自分に合わせてうまく加工していただき、一部でも参考にしていただければ幸いです。



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