出来事と言う「贈り物」
さて、遅くなりましたが、今日は頂いていたリクエストで書いてみたいと思います。
親友・夫婦・恋人などとの、喧嘩などによる意図していなかった別れがあった時に、どの様にそれと向かい合って行ったら良いのかについてのアドバイスがあればと言う内容です。
この場合と言うか、他のどの様な問題についても常にそうなのですが、それをどう受け止めたら良いかと言う事の答えは、結局は「自分の中にある」と言う事を理解しておく事が大切だと思います。
人はどのような問題に対しても、「外に答えを求める」傾向があります。外に答えが転がっていて、それを見つけ出そうとするのです。
しかし、実際にそうして外に転がっているのは、自分の中にある答えを見つけ出すための、切っ掛け・カギに過ぎないのです。
内緒さんはそれを理解しているから、答えではなくアドバイスを求めていると言う事なんですね。それをより明確に自覚すると、事態の受け入れがもう一歩もう一歩と進んでいくかも知れません。
すると、自分の中にある答えを探す訳なのですが、方向性としては2つありますよね。ポジティブとネガティブです。
ネガティブは、後悔したり相手を恨んだりと言う方向ですね。全ての出来事は、魂のスピリチュアル的な目覚めを進めるための機会として表れているのですが、ネガティブな方向性と言うのはそれを拒否している状態なのです。
つまり、成長のために出された問題に対して、ダメだしをしているのです。
これではスピリチュアル的な力は伸びないですよね。つまり、効率よく幸せを引き寄せられないと言う事です。
と言う事は、向かうべき方向は、その問題を受け入れてポジティブに乗り越えて行く事です。
そのポジティブがどの様に表されるのかは、完全にそれぞれ各自の問題になってきます。
落ち着いて自分を俯瞰して見るのです。
自分は何がしたいのか。この機会を、よりポジティブな自分を表現し始める機会としてどの様に活用していけるのか。
それは、趣味やボランティアに向かうものかも知れませんし、それらを含めて、色々な意味において新しい活動領域を開拓してみることかも知れません。
あるいは、場合によってはこれまで手にしていた関係の大切さに気付いて、それを修復し、より強い絆を手に入れることかも知れません。
ただ、人間の性質というか、マインドの性質として、人は新しい領域を開拓する事に不安を感じて、過去の経験に戻ろうとする性質を持っています。
そうした事から、勘違いをして過去に戻ることが必要だと思うのであれば、結局それはまた同じ現実を繰り返す結果へとリピートされることになるのです。
出来事と言うのは、自らの魂の覚醒に向けて必要な機会としての、多次元世界からの最高の贈り物なのです。
それに散々に文句を言って放っておいて忘れるのを待っているのでは、忘れた頃にまた同じような贈り物が贈られてくる事になるのです。
どうすればその最高の贈り物の価値を見抜いて、自分の成長に繋げる事が出来るのかを、リラックスしてのんびりと考えると良いのかも知れませんね。
困る・損をする・人目が気になる等、エゴの声は気にせずに、まず、最高の価値を見つけ出すことに専念します。
その上でなお、エゴの声が気になってそれに従わざるを得ないのであれば、それはもう少しエゴに従った上での学びを繰り返してみる必要があると言う事であり、思ったようには進めないでしょうが、それもその人には必要な学びだと言う事です。
これまでの繰り返しでは得られない贈り物(スピリチュアル的成長の機会)が、そうした出来事には込められていますので、まず、焦らずにその意味を読み取ってみてはどうでしょうか。
どんなに高価な食材も、それを上手に料理しない事には、美味しく頂く事は出来ないのですから。