アセンションの時代

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「意識」を置く枠

その状態しか経験した事が無いと、かえってその状態が(相対的に)どういった状態であるかと言う事がなかなか理解出来ないものです。

人間の存在と言うのは、肉体があり、それを軸にして包み込むようにエネルギー体に覆われています。

実際には、肉体とエネルギー体では存在する次元が異なるために、そうした表現は、あくまでもイメージ的なものであり、絶対的なものではありません。

私達は、誰もがそのように、多次元的に存在しており、肉体だけで存在している人などいません。あえて存在すると言えば、それは遺体になるのですが、それは人と言うより、人(魂)の抜け殻だと言えるものです。

つまり、感じているといないとに関わらず、人は誰もがエネルギー体をまとって存在しているのです。

そのエネルギー体の感覚を感じ始めている人と言うのは、「意識」を肉体からエネルギー体の側へと徐々に移行させている人たちなのです。

そうした移行が徐々に進んで行くと、色々な感覚と言うのは、肉体の中ではなく肉体を包み込んでいるエネルギー体の中へと広がっていく事になるのです。

つまり、肉体を通して物質世界との繋がりを保っているけれど、感覚は異次元に存在するエネルギー体の方へと移行しているのです。

私達の「意識」と言うのは、習慣的に肉体と言う枠の中に納まるようになっていました。それによって、リアルな物理的経験が生み出されていたのです。

しかし、これがエネルギー体の側への移行が進んでいくに従って、感覚が肉体と言う枠内ではなく、エネルギー体の中で感じられて行くのです。

こうした意識や感覚の移行と言うのは、時間が進むに従ってますますそのスピードを上げ続けています。

すると、物質世界での世界観に基づく常識と言うのは、意識を肉体と言う枠の中に閉じ込めて物質的に世界を経験しているからこそ通用するものなのであって、意識をエネルギー体の側に移して世界を経験し始めると、これまで絶対的な現実のルールであったものが、幻想として胡散霧消してしまうのです。

すると、世界に対する取り組み方と言うのも変わってくる事になるのです。これまでの様に、肉体に閉じこもった現実から世界に対するのと、その外側のエネルギー的な領域から肉体を通じて物質世界に対するのとでは、根本的な発想が違う事になってくるのです。

何と言うか、「人生」と言うのは、色々な楽しみ方があるんだなぁと言う事をつくづく感じさせられます。



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