アセンションの時代

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エネルギー体

具体的には深く考えた事はないし、想像も付かないと言うのが実際のところだと言えます。

しかし、漠然としたイメージの中で、アセンションと言うのはスピリチュアル的な面からの波動上昇としての準備過程はあっても、何かエネルギー感覚的な過程と言うのはあまり無くて、宇宙的な何らかのタイミングで一気に感覚として表面化してくるものかのように思っていました。

ところが、自分のエネルギー感覚の中では、かなり変化が進んできているのです。

ここまで感覚的に表れてきているのに、それにも係わらず、記憶や視覚などが高次元世界に対して開かないと言う事は、アセンションと言うのは、瞬間的(数時間~2・3日程度)に起こるものではないのかも知れないと言う気がして来ています。わかりませんが。

エネルギー感覚の変化は、連続性の中で起こり続けていることなので、ある時点で突然にというものではありません。

しかし、それでも1つの目安として流れを表現すれば、春分の通過による感覚の変化と言うのは、とても大きな意味で明確に表れて来ています。

感覚の主体が、肉体にあるようでいてエネルギー体にあるようにも感じられたり…と言う期間がしばらく続いていたのですが、春分を通過した事で、感覚の主体が明確にエネルギー体に移行したと言えるくらいにまで、エネルギー体としての感覚が出て来ています。

次の段階としては、「意識を置く位置」を、肉体からエネルギー体の方へと置き換えて行く感じです。

つまり、肉体を包み込むバルーンの様にエネルギー体を容易に捉えられるようになってきたのですが、意識は肉体の枠の中に置かれているために、無意識の状態ではエネルギー体の枠より、肉体としての枠の中にあるのです。

ただ、「感覚」については、既に肉体の枠は取り払われて、エネルギー体の中の広がりとして感じています。

つまり、感覚についてはエネルギー体が主体になったけれど、全てが完全にエネルギー体を主体とした状態になった訳では無いと言う事です。

逆にそうなってしまっては、何か困るような気がしないでもないですが、意外と行けそうな気もしており、よくわかりません。

競争社会も、自分の経験世界の中からは、跡形も無いくらいに消え去ってしまい、そうした拘束から開放されていると、時間的な感覚もよく解らなくなってしまっています。

そして、感覚が物質からエネルギー主体になってくると、距離感も変わってくるんですね。

「遠く」に感じないんです。「小さく」感じるんです。まあ、実際に遠くのものは小さく見えるのですが、「小さく見える」のではなく、「実際に小さいように感じる」のです。

そうした諸々の変化が、これまでそれぞれバラバラに進んでいた感じですが、それらが1つの世界観としてつながり始めているような感じがあり、興味深いところです。

何と言うかこう、春の陽気が眠気を誘いますね。(笑)



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