アセンションの時代

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流れを捉える

早いですねぇ。もう、2017年の4月も終わりに近づいています。

新しい時代の幕開けと言うのは、2012年の冬至に始まっています。ただ、それは突然にその日に始まったのではなく、その前にもずっとそこへと向かうための変化が続いていた訳ですが。

特に1990年頃から始まったバブル崩壊とタイミングを合わせて、大きな変化が始まりました。

日本では、昭和から平成へと切り替わった頃からですね。

私が「あれっ?」と思ったのは、一時期私が読んでいた本のほとんどが、1990年代前半に出版されたものであった事に気付いたときでした。

それまで隠されていた、社会の裏側の情報が、表に流れ始めたのがこの頃であったと言う事です。

そして、やがては今のエネルギー感覚へと繋がる、強烈な偏頭痛に襲われ始めたのも、ちょうどこの頃からでした。

そして、1995年には「神との対話」が出版され(日本では1997年)、バシャールはそれに先行してチャネリングで情報を伝え始めています。

それ以前は、スピリチュアルと言うジャンルはそれ程のものではなく、選択肢としては「哲学」か「宗教」しかなかったんですね。一般的には。

しかし、今ではスピリチュアルと言うジャンルは、世界的にそれなりの規模を持って広がっているのです。

そうした流れの先に、2012年冬至と言う新しい幕開けが訪れた訳ですが…。

私の場合は、本当にドンピシャで、この冬至直後の2012年内の内から生活環境が急展開し始めました。

そして、2年ちょっとくらい?だったかの間に、転職と言うか退職と言うかと、離婚が押し寄せてきて、それまでとはまったく異なる生活環境の中に置かれる事になりました。

それまでは、まあ、普通のと言うか、表面的にはともかく中身はかなり手抜きのサラリーマンであった訳ですが、基本的に生活の主体は仕事に支配されていた訳です。

夫婦間では、価値観の相違があまりにも大きく、お互いにキツイ状況になっていたんですね。

しかし、その2年ちょっとの間で、退職・離婚ですっかり開放されてしまったのです。

ただ、最初の1年くらいはそれを満喫する余裕も無く、家庭環境の変化による子供の登校拒否もあったりで、なかなかハードな時期でした。

しかし、今では少しばかりの自営業をする程度で、すっかりと自由気ままな生活が定着してしまいました。

いや、本当に何であんなに「お金」や「仕事」に重きを置いてそれがなくなることを恐れていたのか、今ではとても不思議に感じています。

もちろん、もともと大量消費社会の流れに乗っていない人だったり、住宅ローンも少なかったりといった生活スタイルだったからだと言う部分もありますが。

そして、一方ではエネルギー感覚ですね。

2010年頃から自分の中でエネルギーが動き出して、2012年頃からそのエネルギーと偏頭痛がつながり始めて、さらにチャネリング情報で伝えられるエネルギーの到来のタイミングと偏頭痛のタイミングが、毎回重なっている事に気付き始めたのです。

そこから今まで、一貫して少しずつ、しかし加速しながらエネルギー感覚の拡大が続いている状態です。

そして、エネルギーとの関係が深まっていくに従って、それまで時間・空間・質量などの根本的な常識として捉えられていた感覚が、変わってきているんですね。

根本的に、世界を経験する上での前提が変わってきているのです。それは、言い方を変えれば、これまでとは違う世界を経験し始めているとも言えます。

こうして、人生と言うスパンの中で、自分の変化を捉えると、アセンションと言う流れがとても良く見渡す事が出来ると思うのです。

しかし、どうしても意識と言うのは、「短いスパン」で自分ではなく「自分の周囲に現れている出来事」に向かってしまう傾向にあります。

すると、何も変わっていないようであって、その場での足踏みが続いているように感じられるのです。

結局、外側の物質世界と言うのは、自分の内側のスピリチュアル世界が映し出されたものなのですから、意識が外側の世界に囚われていると、経験の本質は何も変わっていかないんですね。

その元になる内側の世界が、そのままでホッタラカシになっている訳ですから。

例えば、長いスパンで振り返って、アセンションの流れを捉えようとしても、自分の内面の変化や自分の個人的な環境の変化を主体にそれを捉えなければ意味がありません。

社会や世界など、自分と繋がりの薄いところからそれを捉えようとしても、それを捉える事は難しいんですね。

なぜかと言えば、アセンションの主体となるものは、「社会や世界の変化」ではないからです。

アセンションをする人もいれば、しない人もいるのだと言う理解は、それなりに広まってきているのではないかと思います。

つまり、アセンションしない人の社会や世界には、いつまで待ってもアセンションは表れてこないのです。従って、そこに主体を置いて捉えようとしても意味は無いのです。

アセンションの主体となるものは、「自分の変化」です。

従って、人生と言うスパンの中で、「自分の変化」によって、アセンションの流れを捉える事が大切なのかも知れません。

別に流れを捉えないといけない訳ではなく、それには気付いていなくても、調和的にある人は自然とその流れに乗っているものですが。

自然の風景が、春から初夏のものへと切り替わり始めていますね。一番いい季節かも知れないなぁ。

新緑が眩しく、空も青さを増しています。そして、日差しの具合がいいんだなぁ。空気にもまだ暑さがなく、気持ちひんやりと清清しいです。

庭のビワと柿の樹の黄緑が映えています。柑橘系の木々もそれを追い、オリーブがその後になるかな。

みかんの樹には、小さな葉の芽とともに、小さな花のつぼみも付き始めています。それが咲く頃には、モンシロチョウやアゲハチョウ、ミツバチやハナムグリたちも沢山飛び交いだすだろうと思います。

いいなぁ。芸術的だよなぁ。上手くできてますよね、自然って。



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