アセンションの時代

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スピリチュアルって何?

今日は、原点回帰と言うか、スピリチュアルとはそもそも何なのかについて、少し書いてみようと思います。

今のように、スピリチュアルと言うジャンルが広がり始める前には、そうした私達の欲求に対する受け皿は、「宗教」か「哲学」くらいしかなかったと言えます。

哲学と言うのは、広い意味からは宗教を含むものなのですが、ここでは私達の社会で一般的に受け取られているように、宗教的な要素は除いたものとして書いていきます。

「宗教」と言うのは、高次元世界をネタとして使ってはいますが、基本的に「依存」「組織」と言う強い2つの要素に支えられています。

自分の外側に存在する「神様」に助けてもらう。つまり、「依存」です。

そのために、そのための組織に入り、自分より神様に近い所にいる偉い人たちの言う事に従う。つまり、「組織」「依存」です。

それが、「悪い」と言っている訳ではありません。ただ、一般的な宗教の特徴を整理しているだけです。

一方で「哲学(宗教を覗いた)」と言うのは、基本的に肉体的な死によって全てが終わりを迎えることになります。

するとどうしても、この物質世界の中に、存在としての全ての意味を見出さなければならないなるのです。

しかし、競争と争いの広がるこの世界の中に、それだけのものを見つけ出す事は難しく、見つけ出したところで「死によって全てが終わる」のでは、虚しさから逃げ切れないのは当然です。

そうした状況の中で、1980年代頃から、高次元存在たちからのチャネリングによって、徐々に世界に広がり始めたのが「スピリチュアル」などとして表現されているような世界観です。

その世界観では、自らの内にこそ高次元へ繋がる扉が存在しており、自分の外にサポートしてもらう事はあっても、依存することは求められていません。

自分自身の内にこそ無限の可能性があるのであり、物質世界にログインして来たことによって一時的に忘却しているその真理を思い出し、自ら積極的な調和を創造し始めることを目指しているのです。

そして、そうした取り組みは、肉体的な死後も、そのまま永遠に存在する自己の中で引き継がれて行く事になります。

ただ、どうしても私達は「依存」する社会の中に生きてきたために、スピリチュアルにも依存を持ち込みたがりますが、それは、本当は違うんですね。

別に、試したい人は、それを試してみても全然良いのですが、そうした「依存」の道と言うのは袋小路になっていて、結局はその道からは戻ってこない事には、前には進めないのです。

私達の経験と言うのは、実は「全て」がスピリチュアルな要因に基づいているんですね。もちろん、表裏一体のもう片面には物質的要因と言うのもセットである訳ですが。

何をしても、つまらない単純作業であっても、全てはスピリチュアルであり、その出来事と言う表れを、どの波動域から経験するかと言う事が大切なんですね。

何か、お腹空いて、頭の中でまとまらないので、今日はこんなところにしておきます。

近所の農家さんの販売所で買って来た、干し大根のキムチが美味しいんですよ。



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