アセンションの時代

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変化について

高次元の存在達は、これまでの私達の概念に当てはめて言えば、未来のある時点に特定のイベント(アセンション)が起こると言う事を伝えて来ています。

それによって、私達は「未来に囚われてそれを待つ」傾向を持ってしまっています。

そのために高次元存在達は、「今・ここ」に意識を集中する事の大切さを繰り返し説いています。

そうであれば、未来のある時点に起こるであろう変化を伝えなければ、「今・ここ」に集中しやすいのではないかと言う疑問も出てくるかも知れません。

しかし、それでは「今・ここ」の分離的な競争に集中してしまうんですね。結局それは、未来に囚われる意識が生み出しているものなのですが。

そうした3次元に囚われた現状に変化を起こす切っ掛けとして、私達に分りやすいように、未来のある時点に特別なイベントが起こると言う情報が撒かれたのです。

私達の「今・ここ」がそこへと繋がりやすい様に、渡りをつけてくれたんですね。

そうした変化を望む人たちは、それを利用する事によって効率的にそうした方向へと自らに日常を導いていく事が出来るようになったのです。

ただ、それを利用しない人たちもいます。つまり、それは「利用したい人は利用してください」と言うものであって、強制的に押し付けられたものではないのです。

高次元の存在達は、「アセンション」と言う1つの未来を提示していますが、同時に「争いによる滅亡」と言う未来も提示しています。

全ての人々が未来のある時点で一様にアセンションする等とは言ってはいないのです。それは、調和を選択する人たちの未来としての1つのビジョンに過ぎないのです。

そして、そのある時点と言うのもまた、人それぞれなんですね。

全ての人が、同時にアセンションすると言うものではないのです。そうした可能性もあったのですが、私達の集合意識が選択したこのタイムライン上では、そうした選択はされなかったのです。

つまり、例え高次元の存在たちであっても、誰がいつアセンションするのかしないのかと言う事は予言できないのです。それは、当人次第の事だからです。

私達は、「変化」を1つの要因から捉えています。

「出来事」と「経験」を区別していないのです。

私達が変化を待つ時、多くの人は「出来事」を目印として探しながら待つのです。その出来事が起これば、アセンションと言う「経験」が出来ると考えているのです。

しかし、実は「出来事」と「経験」は別物(イコールではない)なんですね。

何らかの出来事が起こっても、それをどの様に経験するかは各人の問題なのです。

例えば、金融危機が起こったとしますよね。多くの人々は、それによって大なり小なりパニックになるかも知れません。しかし、人によってはそうした機会に逆に儲かってしまう人もいる訳です。(ポジティブな意味から)

あるいは、それはエネルギー的な変化からも同じ事が言えます。

出来事として、強いエネルギーの流入があったとします。

その時、それを難なく受け入れて自らの波動を上昇させていく人たちもいるでしょうし、体調不良で苦しみながら、そのエネルギーの受け入れ口を拡大していく人もいるでしょう。あるいは、変化を感じないながらも、少しずつコツコツ吸収している人もいるでしょうし、そうしたエネルギーを拒絶してシャットアウトしてしまっている人たちもいるのです。

出来事と言うのは、放って置いてもどんどんと変化していくものです。そのスピードは、惑星地球の波動に主体があり、今の時代の中で凄まじいまでに加速しています。

例えば、伝達手段の歴史を見てください。人への言伝が手紙となり、徒歩が馬での移動になり車輪が発明され汽車となり、電報となって固定電話が現れ、ポケベル、自動車電話、携帯電話、スマホ

その変化のスピードは、恐るべき加速で進んできているのです。

移動手段やその他の変化にしても、地球の波動上昇に合わせて、出来事と言うのはその変化のスピードを加速し続けているのです。

しかし、経験はどうでしょうか?

それは、人類の集合的な波動と、各自の個人的な波動によるのですが、私達はそうした波動の加速によって、ますます巨大な戦争と、過酷な競争社会を生み出し続けています。

しかし、全ての人が一様にそれを経験している訳ではありません。個人的な波動によって、そこから距離を取っている人たちもいるのです。

問題はそこにあるのです。

多くの人たちは、分離競争的な波動の中に自ら留まりながら、アセンションの切っ掛けとなる出来事を待ちわびているのです。

しかし、それでは切っ掛けをいかす事は出来ないんですね。

待っていても、その時にはただチャンスが通り過ぎて行くだけなのです。それがチャンスだとさえ気付くことなく。

だからと言って、脅している訳でもないので、変にネガティブに捉える必要はありません。かと言って、そうしたあり方を理解せずに、訳もわからないまま安心するのもどうかとは思いますが。

私達は集合意識の選択によって、個としてそうした社会から離脱しなくても、全体としてシステムが崩壊する中で、協力し合って分離的世界観からの離脱をすることを選択しています。

そのための準備、主に内面的なものですが、それをキチンとスピリチュアル的に進めておくことが大切なんですね。

そうすれば、きっと「その時」と言うのは、「今」の中にあるのだと言う事がわかってくるのだと思います。



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