アセンションの時代

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未来を焦らず、今を味わう

私達は一般的に、UFOを目撃したい・超能力を使いたい・高次元存在を感じ取りたい等々と憧れます。

それは決して悪い事ではありません。

しかし、それで実際に、UFOを見た・超能力が使えた・高次元存在を感じた時に、「それで、何?」と言う所が実際には大切なのだと思います。

それらは単に切っ掛けであるに過ぎず、それだけで何かが変わるわけではありません。その切っ掛けとしての経験を利用して、自らを大きく変えた(意識拡大した)時に、はじめてそれらを最大限の意味を持った出来事として、経験する事が出来るのです。

では、どうしたらそれを利用して、最大限の意識拡大を引き出す事が出来るのかと言うと、それはその人の世界観(なぜ世界は存在しているのか?自分は何者なのか?どうしてここにいるのか?等)がどこまで拡大されているかによって異なり、全ての人に共通した即効性のある答えがあるというものではありません。

結局は、日々の経験の中でそれらをコツコツと拡大していく事が、人生そのものの意味でもあるのです。

私達は、魂としての記憶を消してこの世界にやって来ているのですが、そこには、ひとそれぞれに異なった目的が存在しています。

大きなくくりで言えば、今の地球に存在する私達の魂は、「アセンションする」事を目的としているのですが、もう少し細かく見れば、それぞれに役割と言うか配役・目的を持っているのです。

例えば、魂の覚醒の過程を上昇してきて、今回のアセンションに挑戦している魂。あるいは、既に高次元までのアセンションを経験しており、今回はサポーターとしての側面から参加している魂。今回はアセンションせずに、次の機会で確実に成功するために、今回はより深くネガティブな経験をしようとしている魂。

それらの魂は、今回の人生においてはそれぞれに目的が異なっており、自分が何を目的としているのかを知る(感じ取る)と言う事が大切だと思います。

例えば、今回アセンションに挑戦している魂が、高波動の経験に憧れて、「自分はライトワーカーだ」と思い込み、自らが持つ波動以上の経験を求めてしまう事は、結果として劣等感や苛立ち・不満となって表れる事になります。そうした自覚のミスマッチは、空回りを生むことになってしまうんですね。

なぜ、そうした自らの立ち位置を無視した自己評価を持ってしまうのかと言えば、「低い波動は落ちこぼれ」だと言う様な、「3次元的な認識」を持っているからなのです。だからこそ、貴重な「今」の中の経験を無視して、無理に高い存在だと思いたがるのです。

しかし、高次元の視点から見れば、「自分の今の経験」にこそ最大の価値があります。高波動が優秀で、低波動が落ちこぼれと言う「発想自体がそもそも無い」のです。それらはただ、それぞれの経験として存在しているだけなのです。

甘い食べ物が正しく優秀で、辛い食べ物は間違って劣っていると言うものではないですよね。

そうした優劣から捉えると言うのは、3次元的な経験の中でのものなのです。

さて、ここからは今回コメントを頂いた、いっしーさん等の場合について考えて見たいと思います。

書かれている経験から察すれば、サポート的な目的を持って来られている魂なのかも知れません。ただ、高次元からの魂であっても、観光的な目的などで来ている魂もありますし、どちらも程よくと言う魂もあるでしょう。

それは、自分自身で感じ取って判断していくしかないと思います。

ここで大切なのは、「サポート」は他の魂のためのみかと言えば、決してそうではありません。他の魂のためであると同様に、自らの魂のためでもあるのです。

実際には、「他の魂のため」と言う事と、「自らの魂のため」と言う事の間にズレは無いのです。

では、この世界において、具体的にそれは何であり、何をしたら良いのかと言う事になります。

それは、「自分の経験として何を求めているのか?」と言う事を、追求していくことが大切だと思います。

私は、本来、教育とはそこから始まるものだと思いますし、4次元社会が軌道に乗るまでは、実際にそうした要素が教育の中に取り入れられていくと思います。それが軌道に乗れば、子供達は学ぶまでも無く、自分のやりたい事を自覚して進んでいくと思います。

3次元世界では、お金のため、出世のために生きて来ましたよね。それが、目的であり、経験したい事だと思って、「競争」に明け暮れてきたのです。

しかし、そうした探求をより深く求めて行くと、何に辿り着くでしょうか?

無条件の愛・調和・友情・与え合い・一体感・共に笑い・共に喜ぶ・好奇心、等々。

これらの経験に、共通しているものは何でしょう?

それは、「相手との関係」であり、「お互いが幸せ」な時に成り立つものなのです。相手とは、必ずしも人間とは限りません。

自らの個性によって、それをどの様に日常の中で表現していく事がベスト(ワクワクする)かと言う事が最重要なのです。

ただ、それも、思考的な要素に囚われるのではなく、まずは「自分が何をしたいのか?」と言う事にのみ意識を集中して行くことだと思います。

それで、パッと明確に答えが出る場合もあるでしょうし、明確ではなくても何となく手探りしながら進んでいく場合もあるでしょう。

そして、1つの大きな柱が見つかる時もあるでしょうし、あれやこれやの全体性の中から流れが浮かび上がってくる場合もあるでしょう。

私の場合は、「エネルギー感覚」「スピリチュアル」「教える事」「子供や犬」「自然との調和」などが、ワクワクの方向性として見えてくるんですね。

それらをそれぞれに、自分の日常の中に無理の無い形で徐々に浸透させる事で、現在の日常が積み上がって来ているのです。

無理があるのは良くないんですね。自分の日常の中に、無理なく表現していくのが心地よいですし、遠回りのようで、実はそれが目的への一番の近道であると共に、それ自体が目的でもあるのです。

例えば、スピリチュアルに興味があってエネルギー感覚もあります。しかし、それだからと言って周囲の人に力説すると言うのは、無理があるんですね。反発や抵抗を生み出すからです。

そこで無理の無い方法として、ブログに書き始めますよね。すると、それに興味のある人たちだけが寄ってきてくれるのです。そこで、教える(伝える)事が出来ますね。これなら、無理が無いのです。

そして、電子書籍としてまとめれば、自由に生きていく上での生活の足しにもなるのです。

いっしーさんの場合も、「自分が何をしたいのか?」と言う事が大切だと思います。高次元存在との交流を拡大していきたいのか、チャネラー的な役割を担ってみたいのか、あるいはヒーラーの様な役割を担ってみたいのか。

「今」の中で、自分が何に向かう事がワクワクするのかと言う事だと思います。結果を急ぐ事に意味はありません。

なぜなら、「今」が魂の求めていた結果なのですから。魂が求めていなければ、「今」と言う結果は存在しないのです。

何かをしなければと、先を急ぐ必要は無いと思います。それよりも、「今」の中にワクワクをコツコツと広げて行く事です。

ましてや、「今」の中にネガティブを引き込む必要など無いのです。とは言っても、簡単にそれを振り払えないと言う現実も良く理解できますが。簡単ではなくても、コツコツと取り組めば解消されていくものだと思います。

ネガティブな感情と言うのは、「未来への不安」や「過去への後悔」によって生み出されるもので、「今・ここ」の中には存在しないものなのです。

私達の、目覚め・覚醒と言うのは、一直線に坂道を駆け上がっていくものではありません。3歩進んで2歩下がると言うように、加速的に進む時間とクールダウンしながらそれを浸透させる時間とが交互に訪れてくるのです。

先を急いで考えすぎるのではなく、単純バカになって「今」を楽しく味わってみるのが良いかも知れませんよ。その中で、地に足をつけて、無理なくゆっくりと進み始めれば良いだろうと思います。

私達はこれまで変化を、時間として外側に表れる変化によって捉えて来ましたが、永遠の今の中で自分の変化によって捉えるような意識を持つと、色々な感覚がうまく浸透してくるかも知れません。

私の場合は、エネルギー感覚を主体とした、そうした新しい世界を自分の中に定着させていく事が癖と言うか趣味のようになっています。ワクワクすると言う感覚ともちょっと違う気がしますが、勝手に坂道を転がっていくように、そうした方向性への探求が止まらないし止められないんですね。

ほっとけば、自然にそうなって行く時代なのだと思います。それを、未来に囚われて無理に難しく考えてしまうと、急ブレーキがかかってしまうんですね。つまり、地球が波動上昇していく流れに、自ら逆らう事になるのです。

受け入れて委ねる。信じる。感謝する。

バカになってそれをすれば良いと思いますし、必要ならそれを受け入れられるように思考的な探求を深めていくのも良いと思います。

「今」は永遠に続いていきますが、今、経験している物質的な地球世界の中に永遠にいる訳ではありません。楽しまないと損ですよ。

例えば、高次元のエネルギー的な世界では「食べる」と言う経験が無いんですよ。じゃあ、せっかくの機会なので、今の内にそれを楽しみたいじゃないですか。

家の庭には、色づいたビワが実っていて、とても甘くて美味しいのです。最近は、外国の料理を色々と食べてみたいなぁなどとも思ったりしています。

そうした延長線上に、新しく表れてきたエネルギー的な経験を、無理なく少しずつ定着させていったら良いのかも知れませんね。小さく産んで大きく育てるですね、私的には。

でも、あちこちぶつかりながら、派手に取り込んでいくタイプの人もいますし、それは自分の個性次第だと思います。

いずれにしても、そうした経験・能力が強く必要とされる時間帯はすぐ近くにまで来ています。そして、その時間は、始まれば当分は終わる事がありません。

今は地に足をつけて、確実にコツコツと自力を深める事を楽しんでいくといいのではないかなと思います。

いっしーさんの経験がどう変わっていくか、私も興味があります。これからも、気が向いた時には気楽にコメントしてみて下さい。



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