アセンションの時代

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褒められたい気持ち

私達は、「共感を得て」「褒められる事」が好きですよね。

ただ、こうした喜びにも、ネガティブな側面(3次元)からのものと、ポジティブな側面(4次元)からのものがあるのです。

3次元的なものの中にあるのは、「主体が他人(の評価)にある」「自信が無い」「求める」などです。自分に自信が無いから、人からの評価によってお墨付きを得たいんですね。

4次元的なものの中にあるのは、「自分が主体」「自立」「求めない」などです。人からの評価に関係なく自立しているんですね。その上で表現している自分に共感を得られた時に、お互いの波動が心地よく共鳴し会うのです。

私達は、人の目、人の評価を気にしながら生きていますよね。

それはつまり、ネガティブな3次元世界の競争社会の中で頑張る、あるいは大人しく従う事を自分に課していると言う事なのです。

自分の外に主体を置き、そこからの評価を気にしている限りは、そこから抜け出す事は出来ないんですね。

私が、2013年~2015年にかけて、周囲からどの様な目で見られてきたか分りますか?(笑)

別居、退職、離婚、子供の登校拒否。

真面目でそれなりの人と言う印象で捉えられる傾向がもともとあっただけに、表立ってぼろくそに言われる事はありませんでしたが、「どうしちゃった?」「大丈夫?」とかなりの注目を浴びていたのかも知れません。「おかしくなっちゃった?」「どこで道を間違えた?」と。

幸い私は、子供の頃から、大人や周囲の評価の90%くらいには意味が無いという事を、経験的に強く思っていたので、特にそれらに何か感じる事も無く見ても聞いてもいなかったのですが、小学生の頃は、周囲の期待に縛り上げられて凄く苦痛な時期があったんですね。

社会が3次元的である以上、そこで褒められながら4次元へ行くと言うことは、難しいんですね。それを越えて4次元に移ってしまえば、また、それまでとは違った意味での評価がついてくる訳ですが。

褒められると言うのは、ある意味においては麻薬なんですね。

それは心地よく安心させてくれる効果があるのですが、その効果が切れると不安になってまた頑張るんですね。3次元のネガティブな競争社会の中で。

それを断って、ポジティブな4次元世界へと向かい始めると、禁断症状から周囲の評価が気になって不安と恐れに包囲されるのです。

それでも、調和的でポジティブに経験世界を換えて行くのだという、断固たる決意で自分の道を進んでいる時、その時、もしそれに共感し褒めてくれる声があれば、それは乾いた自分を癒してくれる1杯の水になるんですね。

私達は、闇雲に褒められ共感される事を求める傾向にありますが、そうして、外側の評価に主体を置くこと自体が、3次元的な物質世界に浸りきっていると言う事なんですね。

主体は自分に置き、自分の道を進まなければなりません。

その時、はじめて共感や評価にも、ポジティブな意味が出てくるのです。


追記・・・・・

念のために書いておきますが、前の記事で書いた「共感」や「評価」を与えると言うのは、3次元世界に踏みとどまらせる方向性を持つものではなく、4次元の調和的なあり方を目指す私達の視点から、相手の持つポジティブな側面に対するものを見つけ出してと言う意味です。



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