偏頭痛とアセンション
このブログを、どう言ったキーワードで検索して来る人がいるのかと言うのを見ることが出来るのですが、偏頭痛とアセンションを絡めた検索から辿り着かれる方が、チョイチョイとおられます。
そうした問題を考える時に、それ以前の問題として1つ重要な事は、それが明確な病気でないかと言う可能性をはじめから無視してしまわないと言う事だと思います。
アセンションが進んでる~と思ってたら、実は病気が進んでいたと言うのでは洒落になりません。
ただ、私もあまりに酷い偏頭痛が耐えがたく、病院の偏頭痛外来と言う専門のところへ言った事があるのですが、お医者さんは、「それは偏頭痛ですからどうしようもないですね」と言って、血管が切れていないかCTだけ取っておきましょうと言うものでした。
お医者さんも、自分ではどうしようも出来ない症状を、毎日延々と聞かされて辟易しているのでしょうが、そうであれば、専門外来など設けるなよと言う話なのですが、それだけ需要が多く儲かるんでしょうね。病院経営も大変ですから。
そんな訳で、余程は大丈夫でしょうが、こうしたブログのようにオカルト的要素を満載している所では、一応、そうした視点も示しておく必要があるんですね。
それから、偏頭痛と言っても、ストレスや血圧に原因を持つものもあるでしょうし、やはり全てを同じくくりの中で捉えてしまうのは違うと思いますが、私の経験から分っているエネルギー的な影響から起こる偏頭痛について書いてみたいと思います。
まず、偏頭痛が起こるタイミングですが、春分と秋分には酷い偏頭痛が起きやすく、夏至・冬至もそうですし、日食・月食などの前後にも置きやすくなります。ドンピシャのタイミングとは限らず、2~3日ずれる事も多いです。
そうしたタイミングでは、地球に向かって宇宙から高波動のエネルギーが流れ込んでいるのですが、それに目の奥・脳の中心にある松果体が反応する事で偏頭痛が生じています。
偏頭痛と言うのは、「蟻の穴から堤も崩れる」過程に起きているものだと言えます。
つまり、これまで機能していなかった松果体が、徐々にエネルギー変化に反応し始めて完全に高次元対応になる過程に起きる、導管の急激で強引な拡大によって痛みが生じているのです。
松果体が完全に眠って蓋をされている状態であれば、強いエネルギーが到来してもそれに反応することなく痛みも生じません。
逆に、松果体が目覚めて、完全にエネルギー的な感覚が五感を包み込むように感じられ始める所まで来ると、導管の拡大の山場を越えた事により徐々に痛みも起きなくなって来ます。
あるいは、自分にとって無理の無いペースでそれを進めている人たちは、導管を拡大させながらも偏頭痛を感じないと言う事もあるでしょう。
導管を拡大させる過程にある人は、「瞑想」を続ける事で、そうしたエネルギーを感覚の中に感じ始められるタイミングの中にあると言えます。
ただ、それらは年単位で起こって行く変化であり、数週間や数ヶ月の単位で取り組み、そして飽きてしまうと言うのではなく、気長に年単位の流れの中で自分の変化を捉えていく必要があります。
エネルギー感覚と言うとイメージが沸きにくいかも知れませんが、始めは気功で言う「気」をイメージすれば、だいたいそんな感じです。
偏頭痛は目の奥を中心として起こり、私はずっと、目の疲れによって偏頭痛が起こるのだと思い続けていました。
エネルギー感覚が感じられるようになって来ている人は、自分で分ると思いますが、偏頭痛が起きた時に瞑想などエネルギー感覚を呼び込むような事をすると、かえって偏頭痛が酷くなる場合があります。
睡眠をとったり好きな事をしてリラックスした状態になれると頭痛が和らぎますが、なかなか偏頭痛の状態でリラックスするのは難しいのが現実です。
私の場合は、漫画の本を読んだりして稀に夢中になって読んだりする事が出来ると、いつの間にか直っていたと言う事が時々ありました。自分の波動が高まり、流れ込んでいる波動とのギャップが縮んだせいだと思います。
そして、やはりエネルギー感覚を感じ始めている人は、意識的にその変化を捉える事を心がけていると、大きな偏頭痛の後には必ず、エネルギー感覚がこれまでより拡大した事を微妙な変化の中に感じる事が出来ると思います。
偏頭痛としての表れに留まっている内は、それは、3次元的な物理的経験として感じられますが、エネルギー感覚が出始めると、4次元的な領域に踏み込み始めている事への実感が徐々に出てくると思います。
3次元がガチガチの物質世界であるのに対し、5次元は完全なエネルギー世界です。
その中間にある4次元の世界は、エネルギー的な性質を帯びた物質世界であり、そのエネルギー的な性質は、それぞれ各自のペースで経験世界の中に表れ始める事になって行くと思います。
その際の、1つのキーワードが偏頭痛であると言えるのかも知れませんね。