エネルギー感覚・無意識について
ひろにぃさんに頂いたコメントをテーマとして、記事を書いてみたいと思います。
まず、積み上がってきているエネルギー変化がどういう感じなのかと言う事です。
始めはただの激しい偏頭痛であり、エネルギー感覚としては何も感じなかった時期が約20年間ありました。
少し補足しておけば、だからと言ってこれから感じ始める人たちが同じように20年も30年もの期間を経なければならないかと言うとそんな事は無いと思います。
社会環境もエネルギー環境も大きく変わってきているので、一般的に環境が整ってから変化を始める人の方が短期間であっと言う間に追いついてくると言われています。
ただ、最終的には各個人の問題なので一概には言い切れませんが。
で、7年前くらいから偏頭痛とは別にエネルギー感覚が頭部に出てきて、それが偏頭痛とつながり始めたのです。
始めの内は、ただ、エネルギーがギューッと脳の中心の凝縮してそれに偏頭痛が伴ったので、とにかくエネルギーを拡散する事に意識を集中していたのですが、基本的に上手くは行きませんでした。
今になって思えば、エネルギー世界から自分のエネルギー体の中に流れ込むエネルギーの入口が脳の中心の松果体だったのですが、流れてくるエネルギー量に対して、充分にそれが開放されていなかったために、毎回エネルギー量が上昇するたびに、その流入口が強引にこじ開けられようとして痛みとなっていたのだと思います。
実際、激しい偏頭痛の後には、毎回小さく一段ずつエネルギー感覚が強くなった事を実感できるようになっていました。
そうした事が続く中で、日常的なエネルギー感覚も拡大を続けてきたのですが、それが今になって思えば、エネルギー体の中にエネルギーが徐々に溜まっていき、それがエネルギー体としての感覚を徐々に表し出していたのだと思います。
それを、バッテリーを充電していくように例えれば、そう言えない事も無いのかも知れません。
そうして、エネルギー的な感覚(密度)が上がってくると、時間や空間、あるいは五感の感じられ方が変わってきます。ただ、それは物理的に目に見える形で変わったりするものではなく、あくまでも感覚の中で変わっていくものです。
気のせいと言うレベルではなく、それは、明確に変わってきます。もちろん、始めの内は、気のせいかな?と言う事を繰り返す事になりますが。
エネルギー感覚についてはそんな感じです。あと1つは、無意識についてですね。
無意識に出来るようになるといいのではないかと言う事ですが、その通りで、私が今、書いている電子書籍が、大きな意味でそうした部分を内包しています。
私達は、分離競争的な現実を生み出してきました。
それを、無意識と言うか、自然に調和的な現実を生み出せるようになろうとしています。
それは、生み出された分離競争的な現実に対して、表層的な思考の領域からの知識的な対処療法で対応しようと言うものではなく、根本的にはじめから調和的な現実を生み出せるようになろうとしていると言う事だと思います。
そう言う意味で、無意識な創造を意識すると言うのは、とても的を得た考え方だと思います。
ただ、そうした移行が完了した段階では、自然にそれが出来るようになるのですが、その移行の過程では、徹底的にそれを意識していかなければ、染み付いた分離的な価値観を洗い流す事は出来ないのです。
話を戻すと、そう言う訳で、無意識に調和的な創造が生み出せるようになって行くのは、私達がこれからハードルを乗り越えてその先にある目的地での状態であって、そこへ至るまでの今の過程の中では、徹底的に意識していく事が必要になって行きます。
そうしないと、私達の奥深くにまで染み付いた競争的な価値観は洗い流せないんですね。
あと、「無意識」と言うより、「自然に」と解釈した方がいいかも知れません。そもそも、本当に完全に意識を無にすると言う事は、私達の存在自体が消滅すると言う事を意味しますが、それは不可能な事なのです。
それは実際には、エゴとしての意識を手離す、物質的な感覚を手離すなど、3次元レベルでのそうした諸々を無にすると言う事なのです。
4次元的なマインドやエネルギー的な感覚は残ってしかるべきものであり、そうした高次元の中へと入っていく事は、進めるべきもので、それまでも無にする必要は無いという事なのです。