エネルギー感覚と瞑想
月食を過ぎた頃から、少しずつその感覚は出ていたのですが、日食を過ぎた事によって明確にエネルギー感覚が切り換わっています。
エネルギー感覚は、大雑把な成長の流れと言うのは、点から線、線から塊へと変化し、その塊が大きくなる過程を辿って来ています。
特に、この日食通過によって変わったのは、日食前には、自分をエネルギー全体として感じようとする時、そこら中にエネルギー的な捻じれの様なものが感じられて、まとまりが無いと言うか、ぐちゃぐちゃで上手く把握できない感じがあったのですが、今ではそれが全体が一体的に安定した状態でスッと感じられるようになりました。
最近は、自分の感じているものを全て、つまり、自分が捉えている経験世界の全てをエネルギー感覚の中に落とし込んでしまう事を意識しています。
時間・空間的な感覚や、五感によって得る感覚の全てを、自分のエネルギー体の中に落とし込んで把握しようと言う感じです。
それは、以前から意識してきた方向性の1つであったのですが、これまでは、音を落とし込むことが難しかったり、視覚を上手く位置づけられなかったりと言う感じでの苦戦があったり、エネルギー感覚自体が、全体の広がりの中ではかなり薄かったので色々と実感としてまとまらない所が多かったのですが、今では、向かっている方向性はこれで正しかったと言う事が感じられるところまでは来ています。
この形が明確に確立されない事には、5次元以上との物理的と言うかリアルの中での直接的な交流は難しいと思うのです。
もちろん、今すぐそれが出来そうだとか言う話ではないのですが、尻尾に手が触れだしているような手ごたえは、ゆっくりとではありますが日に日に強くなって来ています。
特に形やテクニックにこだわる必要は無いのですが、「瞑想」を日常に取り入れていく事は、そうした感覚を引き出す上で、とても良い事だと思います。
私は一時期(数ヶ月くらいかな?)、胡坐を書いて毎日数十分から1~2時間くらい瞑想を続けていた時期がありましたが、今では、寝る時・夜中に目が覚めた時・朝起きる時にはベッドの上で瞑想状態でいます。
眠りに近い状態だと、とてもエネルギー的な感覚が高まっており、新しい感覚を切り開いていくにはとても良い状態にあるのです。
あとは、犬の散歩をしている時や、こうしてブログを書いている時も、そうした状態にある時が多く、それが、日常の普通の状態になってきているような感覚が無くもないような感じもあります。
向き不向きがありますので、一概には言えませんが、私的には、格好や専門的な細かなテクニックにはこだわらない方が良いのではないかと思います。
こだわって考える事は、瞑想とは反対の方向にある状態です。
リラックスして、五感を忘れる。その上で、「感じるものを感じるままに感じ取る」事が大切だと思います。それは、そのままエネルギー感覚なのです。そこに意識を集中する感覚を身に着けていけば、その延長線上に、これまで感じられなかったエネルギー的な感覚やエネルギー体が表れて来るのです。