アセンションの時代

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頭の中と現実の中

今日は、地元のお祭りで、昼前から神社でお酒を飲んでいて、今、餅投げが終わって帰って来ました。

私は、子供の頃から引越しを何度かしていて、ようやく落ち着いた実家からさらに近所の地区に住んでいます。

つまり、まったくよそから来たという訳でもないのですが、生まれ育った土地と言う訳でもありません。

団地は新しく、それぞれによそから引っ越してきている人たちの集まりなのです。

境内に飲食の席はあっても、昔から住んでいる地区のお年寄りが数人いるくらのものだったのです。

ただ、私も今の土地に住んで10年を越えてきており、神社の禰宜番と言うお役が順番の中で周ってきて、最近は、その時に一緒だった親くらいの年の人たちと一緒に、お祭りにはその酒席に出かけるようになっています。

もちろん、その前にはお払いもある訳ですが。

今年は、そうして同じ団地の人たち4人で集まって出かけ、酒席では以前の職場にアルバイトで来ていた女の人のお父さんと一緒になって色々と話し込み、以前の仕事で知り合った人や、近所の人、PTAの役を一緒にやった人や、農家の販売所の人など、帰ってくるまで次々と知り合いを渡り歩いて話して来ました。

何と言うか、少しずつであれ、この土地が地元になってきているんだなぁと言う事が感じれれて嬉しかったです。

結局、思考の中でスピリチュアルがどうこうと考えても、もちろん、それは土台として必要不可欠なものなのですが、土台ばかりを固め続けても、その上に家が建っていくことはないんですね。

それを完成させるのは、結局は、頭の中ではなく、こうした日常現実が舞台になるのだと思います。

エネルギー感覚が急速に変化し始めており、そうした感覚の変化と、日常的な現実の状況、そして、社会的な変化とのバランスを取りながら進める人生ゲームと言うのは、まあ、何と言うのかな。

オモシロいですねと書こうと思ったのですがしっくり来ず、何と言うか、「良く分らないですね。」と言う感じです。

エネルギー的な変化の流れが、春分移行に加速を早めており、かなりいい感じで感じ始めていたのですが、秋分移行の更なる加速に、少しついていけていない部分があるような感じがしないでもないです。

これまで「肉体を主体」として、エネルギー体と意識がそこにピタリと従っていたのですが、それが、肉体・エネルギー体・意識の区別が明確に浮き上がってきており、何と言うか、分らない、何を主体として良いのかどこを足場としたら良いのかが分らないような、何と言うかこう、とにかくしっくり来ない分らない感じです。

ただ、感覚的には、エネルギー体を主体にする方向に自然に向かい続けているのですが、かと言ってそうしたあり方が明確に目的地として見えている訳でもなく・・・。

考えるとダメですね。分らなくて、不安的な要素が出てきます。感覚で、引っ張られる方向に委ねていくのが正解なのかも知れません。

秋分からの1ヶ月くらいは、漠然とした踏ん張りどころだと言えるのかも知れません。



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