アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

エネルギー体・庭の果樹

先日、子供と二人でロープウェーで御在所岳に昇ってきました。

富士見岩展望台と言う所から、ほぼ垂直に下のほうを眺めたのですが、高さがリアルに感じられなくて、驚いたと言うかちょっと寂しかったです。

距離感と言うか空間の感覚が、エネルギー体(空間)的な方に主体が移ってきていて、普段は距離的な空間感覚が無くなって来ているなぁと感じていたのですが、そうした変化を高さの方で感じたら、緊張感がまるで出なくて寂しく感じました。

これまでにも何度か書いたことがありますが、私達のエネルギーと言うのは、重心がかなり前のめりになっているんですね。

それが、空間の奥行きと言う感覚を生み出しているのです。

エネルギー感覚が強くなって来ると、その重心が、ハートの位置にまで戻ってくるんですね。何年もかけて少しずつですが。

そうすると、空間的な感覚が無くなって来て、逆にエネルギー体内の異なる空間感覚が出てくるのです。

肉体が生み出している「感覚」と言うのは、そのエネルギー体内で、エネルギーの密度が変化する事によって生み出されているのです。

少し前は、運動会で使う大玉送りの大玉を前方に抱えているような感じだったのですが、今は、その大玉の中に入っている感じで、重心がほぼハートの中に収まりつつあるのを感じています。

これまでは、基本的に後方にはエネルギーを感じなかったのですが、今では、前方と同じ様に横にも後ろにもエネルギー空間を感じます。

ただ、頭上には感じる事が出来ないんですね。それで、気付いたのが、どうもトーラスの形が表れ始めていると言うか、意識の中に捉えられるようになって来ている様な気がしないでもないです。その形が、ハッキリと実感できる訳ではありませんが。

エネルギー感覚については、そんな感じで変化が続いているのですが、「拡大して」「定着させて」を繰り返すサイクルで進んでいるのですが、ここの所は「定着させる」時間帯で、目まぐるしい様な変化は感じていません。

ただ、基本の状態で、肉体よりエネルギー体としての感覚の方が上回っており、かなり強い感覚が常態化して来ています。その強さを四六時中感じ続けているのではなく、通常はリラックスした状態にある事が多いですが。

・・・・・・・・・・

自分の「心」をコントロールする所で、まだ、意識的に取り組んだ方がよい部分が残っているなぁと言う事を実感します。

まだ、「今」の中に入りきれておらず、「未来」に囚われている部分があるのが感じられます。

空間と同様に、時間の感覚も実感できなくなって来ており、時間的な経過に意識を向けると、それが矢が飛び去っていくように感じられ、何か焦りの様なものを感じるんですね。

その焦りが、未来への囚われを教えてくれる訳ですが。

その囚われは、この機会にシッカリと向き合って手離しておく部分かも知れません。それを手離せば、思った以上に、根本的な所から自分の行動が変わってくるような気もするのですが。

自分の感覚との対話の様なニュアンスが強くなってきており、今、気付いてみれば、「思考と感覚」の関係が、昔と比べると正反対になっているのが明確に分ります。

昔は、思考に思考を重ねて計画するタイプだったので、感覚と言うのは、余程大きなもの意外はあまり気に留めることはありませんでした。

しかし、今は本当に感覚で動いている部分が主体になっています。

そうした、何やかやも含めて、ガタガタと動き出す前に、自分自身を一度整理して整えておく時間帯なのかも知れません。

ああ、庭のイチジクが、1日1個のペースでしか収穫できず、まだたくさんついているのに熟さずに終わってしまうのかなぁと心配していたのですが、昨日くらいからペースが上がって2~3個くらいずつ収穫していけそうです。

生食とシャーベットで終わりそうかな。それとも、ジャムまでまわりそうかな。

オリーブは、大き目のジャムの瓶に1瓶くらい、塩漬けにしました。昨年漬けたのは、刻んで塩水も一緒にパスタに使ったら凄く美味しかったですが、パスタ自体あまり食べないので、使い道を開拓していく必要がありそうです。

ビワの種を粉にしたものは、1年前に作って放ってあったものを、最近になって味噌汁などの汁物に少し入れるようになって来ました。

それ自体のでしゃばるものではありませんが、何となく味に深みと言うか丸みが出ていい感じです。以前使っていた時には、大量に入れすぎていたような気がします。(笑)



イメージ 1