アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

夢を現実化する

リクエスト頂きましたので、そちらのテーマで書いてみたいと思います。

「物に対する目的は、既に所有しているイメージをもつ事で現実化しやすいのですが、特定の人との関係は具体的にイメージすれば叶うと言うものではありません。現実化させる対象が、物と人とで異なる時に、その違いをどの様に捉えたら良いのか?」

大雑把には、このようなご質問だと思います。

まず、これは、言われている事の繰り返しになりますが、夢を叶えようとする時のアプローチとして、3次元的なアプローチと5次元的なアプローチの違いについて確認してみたいと思います。

私達が取り組んできたこれまでの3次元的なアプローチと言うのは、「我慢して、努力を重ねて、頑張る」と言うものでした。それは、エネルギー的な自らの波動を抑え込んで、物質的な取り組みによってアプローチして行くと言うものでした。

これまでの私達が経験してきた世界は、3次元の波動の低い領域にあったために、こうした波動の低い取り組みとの相性が良かったと言える部分がありました。

しかし、ご存知の通り惑星地球の波動環境は、現在、5次元の波動領域に向かって急上昇を開始しています。

それによって、そうした3次元的なアプローチは、これまでのようには報われない事になり始めているのです。

例えば、かつては競争に耐え抜いて一流大学・一流企業と進めば、取り合えず表面的には勝ち組として3次元の現実の中では努力が報われていた訳です。

しかし、今では、そうして一流企業に就職したからと言っても、そこでの厳しい競争が報われる保障は無く一寸先は闇の状態です。

では、この地球環境の中で新しく優勢になり始めた、5次元的なアプローチと言うのはどの様なものでしょうか。

それは、夢や理想を具体的に思い描き、自らの波動を高く保つと言う事です。その夢や理想と言うのは、自らをワクワクさせるものであって、そのワクワクを「今」の中に現実化させ続けることで、理想とする現実が引き寄せられてくる事になります。

ただ、その時に、「手段・方法」に囚われない事が大切です。私達が決め込んでしまう以上に、手段・方法と言うのは無限に存在しており、特定の手段にこだわってしまうと、その他の多くの可能性が見えなくなってしまうのです。

つまり、具体的な理想を思い描いたら、あとは手段にこだわらずに、「今」の中にワクワクとする現実を生み出していく事が大切なのです。

すると、思わぬチャンスにもパッと飛びつく事が出来るようになります。そして、自らの波動をワクワクと高く保っていれば、そうしたチャンスは必ず引き寄せられてくる事になるのです。

例えば、ユーチューバーなどは、そうしたあり方を上手く実践した人たちであると言えると思います。

その上で、今回頂いたご質問と言うのは、人間関係に対してはそうした現実化の方法が適応されないのは、相手の自由意志によるものだと言う解釈で良いかと言うようなことです。

相手に対して、こうなって欲しいだとか、恋人になりたいなどと言う場合ですね。

基本的に、そうした欲求を相手に抱く時の問題と言うのは、「今のままでは相手を充分に愛せない」と言う否定的な側面を抱えていると言う事です。そして、自分の意図するように「相手をコントロールしたい」と言うエゴに支配されている状態なんですね。

もちろん、恋人や結婚に憧れるその気持ちが分らない訳ではなく、そうした気持ちも理解できるのですが、相手を特定して(決め付けて)それを求めている時点で、多分に妄想的な要素が含まれていると思うんですね。

先ほども書いたように、目的を達成するためには、それを具体的にイメージして手段には囚われない必要があるのです。

ここで目的とは何でしょうか?手段とは何でしょうか?

私達は物質的な表れに囚われているために、特定の人と恋人になることが「目的」だと勘違いする傾向にあるのですが、実はそれは「手段」なんですね。

「目的」は、男女関係における充実した愛を経験すると言う事なのです。従って、それが叶った状態をイメージして、今の中にそこへと繋がるような充実した人間関係を育てていけば良いのです。

ただ、そのための手段を特定の一人に限定した段階で、その他の多くの可能性が排除されてしまっているのです。それは、自らのエゴによって排除されているんですね。

それは、相手の自由意志による結果であると同時に、エゴにこだわった自らの自由意志の結果でもあるのです。

病気になった大切な人に対する思いも同じ事です。直って、私の横を一緒に歩いて欲しいと言うのは、気持ちは分るだけに、伝え方には気をつけて頂くと良いと思うのですが、ここではストレートに書いてしまえば、それも「エゴ」の絡んでいる問題なんですね。

ただ、それは、魂の視点から物事を捉えないと、受け入れるのは難しいかも知れませんね。病気の場合は。

それは、お互いに魂の学びとして必要があって、その状態が生み出されていると言う事です。

その上で、それを受け入れられずにいる部分で、エゴが働いていると言う事です。

死んでしまえば、せめて生きていてくれたらと思い、しゃべる事も出来なければ、せめてしゃべる事が出来ればと思い、寝たきりなら、せめて車椅子で移動できたらと思い、車椅子であれば、少しでも歩いてくれたならと思うのです。

エゴとは、「今を受け入れられずに、無いものねだりを繰り返す」ものなのです。

逆にハートと言うのは、「あるものに感謝する」事を知っているんですね。

歩けなくても、車椅子で一緒に動いてくれる。寝たきりでも、一緒にしゃべってくれる。今を受け入れて感謝する事が出来るのです。

状況は同じであっても、そこに生まれる経験はまるで異なったものになるんですね。それが、スピリチュアル的な目覚めが生み出す違いになるのです。

全ての人は、それぞれの選択した波動を現実として生きて行く事になり、それが大きく異なれば、人生の中において様々な形で別れを経験する事にもなります。

しかし、それを失敗とか悔しい、嫌だというのは、結局はエゴによる感情なんですね。気持ちは分りますよ。3次元的な現実の中では、それは悲しい事だと言うのは充分に理解できます。

ただ、それを「悲しみ」によって経験する事が、「人間的で正しい」と言う解釈は違うと思うんですね。気持ちは分りますが。

それは、魂としての視点から捉える事ができれば、「それまで与え合った経験に対する感謝」によって経験される事なのです。魂は、死ぬ事も無くなることもないですしね。

ざっと、こんな感じです。それぞれが、自分の現実の中に調和的な現実を生み出していけるようになるといいですよね。



イメージ 1