アセンションの時代

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変化する時代の中で出来る事

頂いたテーマで、「他の人たちのアセンションにおいて果たせる役割」と言う事で書いてみたいと思います。

まず、土台・基本となるポイントなのですが、「自分のアセンションをすすめる」と言う事です。

つまり、自らのスピリチュアル的な覚醒が出来ていない(あまり進んでいない)状態で、他の人々のアセンションにポジティブな側面から貢献する事は難しいと言えます。

私達の経験の「主体」と言うのは、「自分」にあります。

つまり、「周囲に貢献したい」→「そうすれば幸せになれるはずだ」と言う発想は、実は正攻法な発想ではないのです。つまり、そこには見返りを求める気持ちがあるんですね。

より良いのは、「自分の幸せを追求する」→「それは周囲との調和によって成り立つ事に気付く」と言うのが理想です。この時、見返りを求める気持ちはありません。既にそれ自体が求めているものである事を理解しているからです。

この様に、まず、自分のアセンション(スピリチュアル的な目覚め)を進めていく事が土台となって、その上に周囲に対してどの様な貢献が出来るかという事になって行きます。

例えば、コメントに頂いた「銀行と繋がりのある公認会計士」と言う立場を1つの例として考えて見ましょう。

今後、仮想通貨・暗号通貨の普及を含むフィンテック(金融とAI等ハイテクとの融合)によって、銀行と言う職場は急激に収縮していくと考えられています。

実際に、日本の大手金融機関が相次いで大規模な人員削減を発表しています。

すると、自分の周囲の行員さんたちは、基本的に厳しい立場へと追いやられて行く事になります。その時、多くの人たちの中に湧き上がるのは「頑張らなければ生き残れない」と言う強迫観念であり、沈み行く船の上で必死になってその船にしがみ付いてしまうんですね。

その人たちの多くにとっては、そこを離れては人生が終わってしまうくらいにとても大きな不安をともなうものなのです。

だけど、一歩下がったところからそれを眺めている立場にあると、当事者とは違って見えるものがあるんですね。特にスピリチュアル的に目覚めていればなおさらなのですが。

沈み行く船にしがみ付くよりも、顔を上げれば、ほら、あそこに大きな流木が浮かんでいる。

そのむこうには、小さなボートも流れている。あそこには島影も見えるし。

それは、田舎育ちで自然が好きな人にとっては、田舎への移住で農業を始める事かも知れませんし、あるいは、実家へ戻って家業を継ぐ事かも知れません。

それをチャンスに出来る人にとっては、それは大きなチャンスなんですね。

ただ、それは押し付けるものではありません。

周囲の人に出来る事は、ただ「切っ掛けをつくる」事だけです。そこから先は、当人の問題であり、他人が介入してコントロール出来るものではないのです。

そうした視点、あるいはスピリチュアル的な考え方や世界観を相手に合わせた形で「切っ掛けとして」示して見る事は、その相手次第では大きな貢献としてもらえる可能性があると思います。

「頑張れ、頑張れ、競争を頑張れ」と言うのではなく、「幸せって何だろう?ある意味では人生を切り替えるチャンスとする事も出来るよね。」と言う視点がある事を伝えられるとよいかも知れませんね。

それは、今後、あらゆる人たちに当てはまる事です。

例えば、仮想通貨の基幹となるブロックチェーンと言う技術は革命的な可能性を秘めており、現在存在している多くの職業が必要なくなっていくと言われています。

また、人工知能やロボットの融合によって、工場で仕事もその大半が必要なくなっていきます。

それらに続く、量子コンピューターやフリーエネルギーなどの技術も形になってこれば、驚くほどに多くの仕事が必要ないものとなって行くのです。

それらの仕事は100%全てが無くなると言う話ではなくて、人間がやらざるを得ない所も当然残っては行くけれど、大半は無くなるという事です。

つまり、「生きるために働く時代」から「幸せのために生きる時代」へと、私達はその移行期を生きているのです。

しかし、多くの人は、そうした視点を持ってはいません。仕事が失われる事による生存への恐怖によってそうした変化の中へ放り出される事になるのです。

それは、置かれている環境の違いによるものではなく、持っている「視点」によって異なる経験が生み出されると言う事なのです。

ただ、そうした「視点」を示しても、受け入れる準備が出来ていない人には「それは嫌味か!お前はいいよな。」と言う事にしかなりません。それはそれで仕方ないのです。なぜなら、それがその人の人生における、その人の選択なのですから。

それは辛いからと言って、私達がその人の人生を書き換えてしまう事は出来ないのです。もし、それをしようとすれば、そこに生じる摩擦によって、お互いに辛い経験を上乗せする事にしかなりません。

基本的に、今回これからのように社会が大きく変化する時代にあっては、社会的な地位と言うものはあまり役に立ちません。地位のある人ほど、失うものが多いと言う事を意味しています。

例えば、競争社会を勝ち抜くと言う事は、相手から奪うと言う要素が少なからず含まれているのです。そうした在り方に馴染んでいると言う事です。

しかし、浮浪者の人たちの社会と言うのは、助け合いの精神があったりするんですね。そうした人たちの中には、困っている仲間などに与える・助ける事を実践し幸せを感じている人たちと言うのがいたりするのです。

どちらの人が、新しい時代に対応していけるかと言う事なのですね。

ルールが変われば、立場と言うのは変わるものなのです。

助けようと思って、助ける者と助けられる者を区別して助けるのではなくて、お互いのより良い関係を築いた結果が、相手を助け自分も幸せを感じられたと言うようになれると理想かなと思っています。

例えば、若者から教えられれば「なにを、生意気な!」と思える事も、社会的に地位のある人から言われれば「なるほど」と受け入れられると言うのも現実です。

そうした意味では、公認会計士と言う立場は、アセンションに伴う社会変化の中でも大きな影響力を発揮していくと思います。

ただ、企業の資金調達もIPOからICOへと移行して行く流れの中にあり、長い目で見れば、その職業も無傷ではいられないと思います。

私達がこれまでまとった知識は、ある時には役に立ちますが、ある時には足を引っ張る事にもなります。

これからの時代を乗り切る「土台・基本」は、「スピリチュアル的な目覚め」であり、自らのスピリチュアルがこれからの時代の中での推進力となって行くと思います。

例えば、仮想通貨・暗号通貨と言うのは、競争・利益追求・支配・搾取などと言う、これまでの競争社会を支えて来た理念が、強く否定された環境のなかで、新しい調和的なあり方を目指す人々に支えられて運営されています。

まず、技術があって、それにスピリチュアルがついてきているのではなくて、スピリチュアル的な目覚めがあって、それによってそうした技術が生み出され、それぞれの立場から支えられているのです。

基本は、ポジティブな視点から調和を目指し、それを楽しんでいく事だと思います。それは、難しい技術の話ではなくて、単純に心のあり方の問題で、誰にでも可能な事だと思います。ある程度、スピリチュアル的に目覚められさえすれば。

そのある程度の目覚めのための切っ掛けを、お互いに声を掛け合う事で、ばら撒きあっていけると、それが私達にできる一番の貢献かも知れませんね。



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