アセンションの時代

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エネルギー的な経験

自分とは何なんでしょうか?

名前、仕事、住所、家族、趣味、容姿・・・。その全てを異なるものに取り替えても、自分は自分であり続けます。

では、何が自分なのでしょうか?

それは、意識なんですね。意識に目覚めたエネルギー体が、私たちと言う存在なのです。

多次元に広がる世界の始めには、エネルギーが存在していました。それを、「一なるもの」と呼びます。そのエネルギーが、意識に目覚める事によって「大いなる全て」となったのです。

そして、大いなる全ては、自らの内に多次元に広がる世界の全てを創造し始めたのです。その一部として存在しているのが私達です。

つまり、大いなる全てとは、意識に目覚めたエネルギー体であり、その一部として存在している私達を含む全ての存在と言うのは、意識に目覚めたエネルギーであると言う事なのです。

ただ、存在の全ては、それぞれに固有の波動によって存在しており、意識の目覚め具合が様々なのです。

人はその意識を拡大(波動を上昇)させる事によって、より調和的な経験を創造していくことが出来るのです。

自分と相手を切り離れた存在だと認識し、肉体的な小さな個の中に意識を閉じ込めていては、相手との生存競争が続くばかりですが、意識が自分も相手も同じ世界の一部なのだと認識し始めれば、争いは消え与え合う経験が始まるのです。

それは、戦争などをしているどこかの国の人たちの話ではなく、私達自身の話なのです。

自分がエネルギー体であるという事は、実際にそれを感覚的に感じ取る事が出来るものなのです。

瞑想の持つ1つの意味が、そうした感覚を蘇らせるという事にあります。

私達は、そうした感覚の目覚めを経験する事の出来る、特殊な時代の中を生きています。

これまでガッチリと固定されてきた物質と言う枠から、私達は抜け出し始めていく事になるのです。

例えば、私達の意識や感覚は、その物質的表れとしての肉体の中に完全に密封された状態で世界を経験して来ました。

しかし、それが肉体と言う枠の外にまで広がり始めると言う事です。(次元が異なるため、必ずしも正確な表現ではありませんが。)

物質的な経験の主体は、自分の外側に置かれて来ましたが、これからのエネルギー的な経験の主体と言うのは「自分」に置かれる事になります。

つまり、自らの「意識と感覚(エネルギー体)」が主体となって、経験が生み出されていくようになっていくのです。

それは、必ずしも決まった順序によって表れるものでは無いという事です。例えば、エネルギー的な感覚が目覚めていくのに、固定された道順がある訳ではないのです。

例えば、チャネリング(テレパシー)の様な能力から始まる人もいるでしょうし、予知夢などから始まる人もいるでしょう。幽霊を見るような霊視的な場合もあれば、エネルギー感覚として捉え始める人もいるでしょう。

ただ、表れとしてはそうして様々な道があっても、基本的な本質についてはある程度共通の道のりがあるのだと思います。

その核となるのが、スピリチュアル的な目覚めなのです。個性によって、エネルギー的な能力が強く表れたとしても、そうした核をキチンと育てていかなければ、結局は遠回りをする事になってしまうんですね。

ここの所、1週間以上落ち着いていたのですが、また今日もエネルギーが高めです。

今年の冬至は、12月22日(金)と言う事で1つの目安として、先月からのエネルギー感覚の変化がその頃までにどこまで変わっていくのかを意識しています。

今日のようにエネルギーが高まってくると、冬至には大きな変化がありそうな気がしたり、昨日までのように落ち着いた状態であると、春分まで先延ばしかなぁと思ったり。

冷静に考えてみれば、最近のダラダラとした生活では、高望みしたって無理だろうとも思ってみたり。(笑)

ちょっと、ここの所、生活のリズムがあまり良くないんですねぇ。



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