アセンションの時代

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「幸せ」について

頂いたコメントから、「幸せ」について少し書いてみようと思います。

私達は、誰もが「幸せ」を経験しようとして生きています。その幸せは、具体的にはそれぞれ各個人の個性に合ったものになります。

しかし、本質的なところから見てみると、各自がどの波動領域において経験を生み出しているかによって大雑把に分類する事が出来ます。

まず、3次元的な幸せと言うのは、エゴが主導する幸せです。つまり、他の全ての存在との「競争・争い」によって、自分が勝つ事で感じる幸せです。

それは、相手を負かし不幸にする事によって、代わりに自分が幸せになろうとするもので、私達はそうした社会を生きて来ました。

勉強・スポーツ・仕事など、その基本的な仕組みを支えているのは「競争」であり、相手を負かして不幸にする事で、自分が幸せを独占しようとするものなのです。

3次元と言うのは物質的性質が極端に強い世界であるために、お金や物など、限定されたものに幸せを求めるために、どうしてもそうした争いへと意識が向かってしまうのです。

そうした意味で、3次元的な幸せと言うのは、幸せモドキであり本当の幸せではないのです。3次元世界の中では、それが本当の幸せとして経験される訳ではありますが。

人間嫌いや一人でいることを好むというのも、決して悪い事・寂しい奴と言うばかりではなく、そうした関係が嫌だと言う場合もあるんですね。

私は、多くの人たちと一緒にいる時に、とても多くの孤独・寂しさを感じる事がありますが、一人でいる時にそうしたものを感じる事はありません。

次にもう少し波動の上昇した、3次元と4次元の境目付近では、どの様に幸せが経験されるのかを見てみましょう。そこでは、3次元的な幸せに対する反動によって逆転現象が起こっているのです。

つまり、自分だけを大切にして他を傷つけて来た経験の反動から、今度は自分を犠牲にして他を幸せにする事が尊く幸せなのだと考え始めるのです。

例えばそれは、ボランティアや子育てや集団行動の中に投影される事があります。

しかし、自分を「犠牲」にしたのでは、自分が幸せになれない事は明白です。それで幸せになれるのなら、そもそも「犠牲」と言う発想は生まれないはずなのです。

それが尊い幸せだと信じてそうしたのに、自分は犠牲になって幸せになれない。すると人は虚脱感に囚われたり、場合によっては見返りを求め始めるのです。自分は、その見返りによって幸せになれるべきなんだと考えるのです。

しかし、それはもはや本来のボランティア精神ではなく、偽善になり始めているんですね。

そして、4次元的な幸せにおいては、他の存在たちも大切だが、自分はまず自分である訳であり、自分を大切にする事によって、その過程で他の人たちとも調和し大切にして行こうという事になるのです。

自分が不幸(犠牲)になることで相手が幸せになれると考えるのは、3次元的な分離の発想に基づくものなのです。4次元的な一体の発想に寄れば、不幸な人が人を幸せに出来る訳がないのです。

まず自分が幸せになってこそ、始めてそれを周囲に広げていく事が出来るのです。

バシャールなどは、象徴的な言葉で「ワクワクすること」を大切にするようにと伝え続けていますが、「まず、自分の幸せを育てなさい。そうして育った幸せが、やがて引き合い繋がりあって、4次元的な社会が表れはじめます。」と言う事なんですね。

しかし、私達は組織の歯車として育てられて、自分のワクワクを押さえ込むように教育されてきたために、自分が何にワクワクしそれをどう育てていけば良いのか解らないんですね。

自分が何をしたいのか、ハートの中に密封されたその声に、耳を傾ける事を習慣的に意識していくと良いと思います。

例えば、「食べる」事に興味が向かうのはよくある例かも知れません。その時に、ただ貪り食うのではなく、深く調和的にそれを経験する事を心がけるのです。

深く味わう事。自分で作ってみる事。人に作ってあげる事。一緒に食べる事。栄養を考え体と食物を調和させる事。食べることに関してトータル的な知識を楽しむ事。

そうして広く深く、調和的に楽しみを広げていくんですね。

ただ貪り食うと言うのは、調和的ではありません。つまり、偏っていて継続的でないという事であり、それは3次元的なのです。

スポーツでも、旅行でも、創作でも、菜園でも。何でも自分の興味の向いたものを素材として、ワクワクを広く深く広げていく事が大切なのです。

その広がりの先にボランティアと言うものが表れてこれば、あらたまった見返りなど無くても、それ自体に充実を感じられるものなのです。

私達はそうした可能性を、自らのハートの中に押し込めて、勉強や仕事に意識を向けて生きて行くように育てられて来ました。

そのために、そうした現状を明確に自覚して、自分のハート・個性の中に閉じ込められているワクワクを、意識的に掘り起こして見つけ出していく必要があるのです。

それが、3次元的なエゴによる幸せ・自分を犠牲にした幸せから抜け出し、自分を主体として世界と調和しながら幸せを拡大させていくための柱となるものなのです。



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