アセンションの時代

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確実に前進している「エネルギー感覚」

11月に強いエネルギーを立て続けに感じていた頃には、冬至アセンションにおける大きなブレイクスルー、つまり、いわゆるアセンションがあるのではないかと思ったりもしましたが、12月に入ってからエネルギーは強いながらも安定したものになり、結果的にその様な大きな変化はありませんでした。

ただ、エネルギー感覚の変化は7年前から緩やかな加速を伴いながら一貫した変化を続けており、冬至を通過したあたりから新しいステージに入った事が明確に感じられます。

エネルギー感覚の領域が、エネルギー体全体へと広がった事によって、昼間の肉体的に活動している状態では、ある意味ではエネルギーを感じにくくなったと言うか、強さを持って感じにくくなったような部分もあります。

それは、これまで前後左右や上下など、意識の向かったその一方向にエネルギーを感じていたものを、その全体から捉え始めている状態です。

つまり、これまでは1つの方向に偏ってエネルギーを感じていたのですが、それを全ての方向に同時に感じるようになり始めている事によって偏りが無くなり、これまで感じていた偏りとしての強さを感じにくくなった感じです。

強さ自体はこれまで以上に在るのですが、一方向に偏らずに自分の中心でバランスの均衡した状態で感じられるのです。それがある意味で、強さを感じにくくなったように感じる時もあると言う事です。

最もエネルギー感覚に浸りきって、その状態を把握する事が出来るのが寝ている時間帯、特に夜中や早朝に目覚めてまどろんでいる時間帯なのですが、そうした状態の中では、より一層ここ数日の変化を明確に感じています。

これまでは、「肉体」と「エネルギー感覚」のバランスの中で、その探求を進めてきたのですが、エネルギー感覚がエネルギー体としての全体像を徐々に現し始めたことによって、探求の舞台が「エネルギー体」と「意識」の関係の中で行われるようになって来ています。

例えば、今朝方感じたのは、目を瞑ってエネルギー感覚の中に浸りきっている状態から目を開けた時に、視覚によって映し出された部屋の天井を見上げる風景に合わせて、エネルギー体がスッと空間的な感覚を生み出すのです。

目を瞑って空間的な感覚を消し、目を開けてエネルギー体が空間感覚を生み出す感覚をより明確に捉えようと試したりしてみました。今朝は。

なぜ、そうした「空間」的な感覚にこだわるのかと言う事には、ちょっとした意味もあるのです。

まず1つは、以前に記事に少し書いたことがあるのですが、私は鳳来寺山の石段と熱田神宮がとても好きで、その理由の1つが「空間感覚」にあるんですね。この2つの場所へ行くと、エネルギー感覚が出てくる以前から、空間(距離感)的に不思議な感覚を感じるのです。

特に鳳来寺山では、子供の頃からそうしたものを感じていました。

つまり、もともと個性の中に、空間と言うものに、何か不思議なものを感じていた所があったのです。

そして、もう1つは、目を瞑って何かが見える事が時々あると書いて来ましたが、その時に見えた風景にエネルギー感覚を被せる(重ね合わせる)ことで、空間的な感覚を生み出し、その世界をよりリアルに感じる事が出来ると思っているのです。

実際に、以前ぼんやりと霞んだ影のように見えたものにそれを重ね合わせた時に、そこに空間的な感覚を生み出せそうな手ごたえを感じたことがあるんですね。

アセンションによって5次元以上の次元へ行くと言うのは、そう言う事であろうと考えており、おそらく実際にそうであろうとおもっているのです。

つまり、肉体的な身体は、睡眠や瞑想などの状態によってこの次元世界に残したままで、エネルギー体と意識によって5次元以上の世界を捉え経験する事になるだろうと思っているのです。

ある意味では夢の様な感じだと言えますが、意識はハッキリと目覚めており、空間感覚などこの世界での現実と区別がつかないほどにリアルなものになるのだろうと思っています。

最近はと言うか、2日くらい前からは肉体と言う概念を消し去って、エネルギー体に意識を乗せ、意識をどう向ける事によってエネルギー体がどう反応するのかを試している感じです。ベッドに横になっている時間帯に。

それらの過程と言うのは、全てが必要によって繋がりあっており、これまでもそうであったように、常に新しい段階へ進むための必要によって起こっている過程だと思っています。

意識があって目を瞑っている状態で何かが見える時、以前、人が見える時と言うのは、常に遠く離れたところを歩いている人影が小さく見えていたのですが、最近は、複数の人が自分の顔を覗き込んでいる影や目の前で手が動いている影が薄っすらと見える事が増えて来ています。

ただ、自分から積極的に見ようと意識を向けないせいもあってか、そう言うのはエネルギーが高まっているような時にしか見えず、それ程頻繁に見える訳ではないんですね。

先月は多くて2~3回見えたけれど、今月はまったく見ていないとかいった感じです。

ただ、寝ている時など、特に眠りにつく前が多いのですが、視界の恥の方に光を感じる事が増えて来ています。それは、外からの光などとは違って、目を瞑っているのに、自分が目を開けている様に感じて、パチパチと瞬きしながら目を開けて、あれっ、やっぱりちゃんと瞑ってるよなぁなどと思うことがあったりもします。

目を瞑っていると、他の人が正確にはどう感じているのかは分らないのですが、普通はただ暗いんじゃないかと思うのです。

それが普通なのか分らないのですが、子供の頃から数年前までは、目を瞑っていると藍色(インディゴ)の揺らめきが見えることはよくありました。ただ、最近はそれは無くなっています。

しかし、つい最近くらいから、目を瞑ってそこに集中すると、黒い(暗い)領域ではなく、白い領域に焦点が合いそうになる事があります。明るいではなくて、白いんです。目の前に白い壁と言うか布と言うかが見えるような感じで。

これって、オモシロいのですが、脳の中心で見るんですね。

オモシロいもので、目を瞑っていても、人間ってそこに何かを見ようとするとどうしても目で前に捉えようとして眼球が反応し、焦点が前の方に置かれてしまうのです。

私は以前から、目を瞑っている時には、前にではなく脳の中心で映像を捉えるように意識しつつも、どうしても眼球が反応し焦点が前方に向けられ苦戦していたのですが、最近になってようやく脳の中心で焦点を合わせることが出来るようになってきたような手ごたえがあります。

目を瞑っていても、完璧に黒一色で何も見えないと言うものではないんですね。必ず何かが見えているものなのです。ただ、私達はそこに焦点を合わせることが出来ていないので、結局は何も見えていないように感じる訳ですが。

最近は、エネルギー体に意識を乗せるエネルギー感覚と意識の関係の方を中心に取り組んでおり、視覚的な取り組みはほとんどしていませんが、そうして、新しい世界の探求は連鎖的に広がり始めている事を感じます。

今年は色々な意味で、変化が大きく本格化した年でしたが、来年はさらに加速しながらこの勢いが続いていくだろうと思っています。

まあ、何と言うか楽しみですよね。あまり力まず、ボチボチと楽しんでいけたらなぁと思っています。これまでには無かった事なのですが、頑張って踏み込んで進みたいと言うよりは、ブレーキをかけながら状況を把握して進みたいと言う思いが出始めています。

色々な意味で変化の加速が、自分の余裕・落ち着きを消し飛ばしてしまいそうな不安を微かに感じるような事が少しあったような気がします。不安ではなくスリルとして楽しく変化に突入していけるように、もう少し自分を調整する部分があるなぁと思います。



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