アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

2018年とアセンション

近所の実家との近距離の往復で自動車を使う事が多いせいもあってか、昨日、自動車のバッテリーがあがってしまいました。

エンジンをかけてもらってから、バッテリーを充分に充電させるために30分くらいは止めないようにと言われ、その間、自動車の中にいたのですが、助手席前の車検証などが入れてあるところを開けたらバシャールのDVDが出てきて、それを見ていました。

音声のみ何度か聞いたことがあるものでしたが、とても「新鮮」にメッセージを聞くことが出来ました。

以前それを聞いていた時は、自分自身の感覚としてはそれを実感する事は出来ないけれど、世界や人間の経験と言うのがどの様に生み出されているのかと言う事を、頭の中に浸透させる事に取り組んでいました。

私は、自分のエネルギー感覚をどのように自らの経験の中に浮かび上がらせより広く深く感じ取っていったら良いのかと言う事について、常に一歩先のあり方と言うのをイメージとしてしっかりと持った上で、自らのエネルギー感覚を育てています。

それは、何に書かれていたものか、誰によって伝えられたものかなど、具体的なものはあまり良く覚えていないのですが、あちこちからこうして吸収したものが、自分の中で1つの世界観として表れ、新しく進む次の一歩を自然に自分の中にイメージさせて来たんだなぁと思います。

そして、今さらそれを聞いて何が新鮮かと言う事なのですが、以前は実感は無いけれどとにかく頭に叩き込んできたものが、今は実感とともに頷きながらそれを聞くことが出来るのです。

全部が全部、そうだと言う訳でも無いでしょうが、実感を持って頷きながら聞ける部分がとても多くなってきているのです。

12月は、エネルギー感覚を模索していく上で、それまでのステップから次のステップに移る過程にあり、方向性がぼやけて捉えかねていた部分がありましたが、1月に入って新しい方向性を明確に理解し取り組み始める事が軌道に乗って来ました。

取り合えず今は、感覚の主体を肉体ではなくエネルギー体の方へ置く事を意識しており、その上で、エネルギー体を感覚の中に捉え把握する課程に取り組んでいます。

今回のバシャールのDVDと言うのは、その過程で既に自分の感覚の中では常識になっている事を説明していたのです。

そこだけを聞いていると、言っている意味を理解しかねる事にもなりやすいと思うのですが、エネルギー的・多次元的な世界観を前提として聞けば普通にスンナリと自分の中に受け入れられるもので、常識的な知識と感覚の中でそうしたメッセージを聞くことが出来ていたと言う事が、新しいステージに踏み込んできているなぁと言う印象を生み出し、それがとても新鮮なものだったのです。

これまで、アセンションがいつあるのかを考える時、高次元存在たちの情報に主体を置いて、その一言一言を取り上げては、2012年冬至あるいは2013年、2016年秋などと予測してはそれが当たるかに意識を向けてきました。

しかし、今は高次元存在の個別のメッセージのあれやこれやは特に関係なく、まったくの個人的な感覚において個人的に勝手に思っていることは、2018年にはアセンションがあると言う事です。

先々月の11月頃にも、そうした可能性を感じさせるほどにエネルギーが強く変化を起こしてきていると書きました。その時点でも冬至あるいは次の春分辺りが大きなキーポイントとして機能するだろうという事も書きました。

結果として、冬至にピンポイントでそこまで突出した変化が表れたと言う事はありませんでしたが、冬至を経て、これまでにも書いたようにそれまでの肉体とエネルギー感覚の関係の中での探求から、エネルギー体と意識の関係の中での探求へと大きくステージが変化しました。

今の感覚としては、春分は当然に大きな節目として見ていますが、それまでの2ヵ月半くらいの時の中にも、3回とかそれくらいの大きな波が来るのが自然な事だと感じられます。

それは、これまで偏頭痛に襲われていた時の様な強いエネルギーの波と言う意味です。年間を通して繰り返し訪れるそうした波のどこかでアセンションとしての最大の節目も訪れてくるだろうと思うのです。

これは、予言とか予告と言うものではなく、単純に今のエネルギー感覚の中で感じるものを深く考えずにヒョイヒョイと書いているだけですし、アセンションしてもしなくても、別に他の人たちの経験世界に大きな影響を与えると言うものでもないと思います。

単純に個人的な経験における楽しみとしての話しです。

2017年と言うのはとても大きな変化の始まりの年でした。

しかし、だからと言って全ての人がその様に感じている訳ではなく、逆に明確にそう感じている人と言うのは割合としては意外と少ないんですね。

ただ、説明が付け加えられれば、それをハッキリと理解する事が出来る人たちがある程度の割合で存在していると言う事が、アトランティスの時代との決定的な違いなのです。

アトランティスの時代と言うのは、そうした時代の変化を感じ取った一部の人々の説明が大衆の中に受け入れられずに、例外的なごく一部の人達しかアセンションする事が出来なかったんですね。

ただでさえ、非現実的(非3次元的)な事を書いているのに、今日はさらに跳んでしまっていますかね。(笑)

この辺にしときます。



イメージ 1