ちょっとネガティブに愚痴(笑)
世間的には、アセンションやエネルギー感覚の話題と言うのは、扱いの難しい話しなんですね。内容がどうこう以前に、そうした関連のキーワードを口にするだけでも、空気が通常とは変わるのです。
過去に、「この人なら興味を示すだろうか?」と思って、本当に軽くそんなキーワードを使った時に、すかさずフォローが入ったんですね。
私は田舎に住んでいたり、グループに入ってそうした事を勉強していく事が嫌だったりして、身近にそうした話のできる人を持って来ませんでした。都会では知りませんが、田舎ではそうしたグループと言うのは宗教であったり手かざしであったりするんですね。
それが悪いと言う訳ではありませんが、グループの内と外に壁を作る感じや、視点が違うような気がして自分には合わないのです。
従って、ブログや電子書籍の中でこそ、多次元世界やエネルギー感覚的な事を書いていますが、リアルの日常の中ではそうした話題も用語も一切使って来ませんでした。
話題の延長でそんな事を話す時でも、「アインシュタイン達の量子論って言うのは実はこう言う事を言っている訳で、だからそんな不思議な事だってもしかしたら起こるのかも知れないよね~。」みたいに、科学だとか金融・経済システムの看板などを借りて話すんですね。
多次元世界的にはとか、スピリチュアル的な世界観では…何て言えないんですね。
そうした自分にとってブログと言うのは、日常現実から切り話された世界で、思いの捌け口としてもって来いの場所だったのです。
インターネットの世界では、興味を持って調べた人しかそこへは辿り着いてこない訳であって、ある程度それを受け入れられる人たちが集まってくるんですね。
そして、こうした話題と言うのは、世間的にはマニアックなジャンルであって、一般的な人たちには相手にされていないんですね。あくまで大雑把な傾向としての話ですが。
そのために、これまではそれを批判したりからかったりする人はあまり寄ってこなかったのです。
ただ、もしこれで、春分にかけての期間の中で、仮にですが、エネルギー的にかなり大きな誰もが驚く経験があったりすると、その答えはチャネリングやアカシックレコードからの情報の中にしかない訳で、世間がこっちの方を見はじめる可能性があるんですね。
そう言う事を想定して電子書籍も書いてきた訳なのですが、そうした時に、あまり前面に出て行くと言うことは、自分から矢面に歩み出て行くと言う事にもなるのです。
これまでは、世間から相手にされていなかったので、矢が飛んでくる事も無かったのですが、世間がこちらの方を見だすと、矢もたくさん飛んでくるようになると思うんですね。
何も私ひとりがと言うのではなく、こうした話題を扱っている人には、もれなく矢が降り注ぐと思うのです。(笑)
あるのかどうかは分りませんが、エネルギー的な大イベントがあれば、それは調和へのゴールではなくて、調和へのスタートになると思うのです。
そして、次のような人たちに分類されてくると思うんですね。
1.根本的に調和を否定する人(そんな事では生きていけない!)
2.依存によって調和を目指す人(リーダーに社会を変えて欲しい)
3.お互いの自立の中に調和を見出す人(自分を調和的に変えていく人)
これまでの1に替わって主流となってくる、強いリーダーに「依存」する社会では、規律によって人々は結局自由を失って行く事になります。
どう考えても、3に該当する私の様な考えは、まだ主流になる事は出来ないと思うんですね。それでも、これまでは相手にされずに気楽でしたが、これからは調和否定派からも、リーダー依存派からも否定される事になると思うのです。
少なくとも、それらが行き詰るまでの数年の間は。
私は、プチ講演会と言うか、勉強会と言うかサークルの様な集まりの場を作りたいなぁと思ったこともあるし、今でも無い訳ではないのですが、それでも動かないのには、そうした不安があるんですね。
意外とこうした思いが根強いのです。と言うか、正直、怖いんですね。そうした関わりを生み出したくないのです。
ブログなどネット上での事なら、今すぐにでも完全撤収する事が出来るので飛んでくる矢(批判や中傷)から直ぐに離れられるんですね。でも、現実の場で表に立ってしまうと、それが出来なくなってしまうと思うのです。
だから、エネルギー感覚とかの話しも、それは自分自身のここ数年を通じての最大の関心ごとであり、今はそればかりを書いていたいのですが、そればかりが記事として続くと、受け入れられないと言う思いがどうしても湧き上がってくるんですね。
スピリチュアル系の言葉を使って、どんどん前に出て行きたいと思ってみたりする一方で、スピリチュアル系の言葉は封印して、迷っている人や同じ価値観の人に声をかけながら後ろから歩いて行く方が絶対に楽だし面倒も少ないよなぁと思ったりもするんですね。
前者をネット内で、後者を日常現実の中でやればそれで良いと言う話しなのですが。
これって、されて見ないと分らないと思うのですが、ネット上でからかわれたり否定されたりするのって結構こたえるんですよね。(笑)
私の場合は、たまたま今のところは、それほどそうした事は多くなく、仮に書かれても最近でこそほとんど気にならなくはなりましたが。
何か最近になって、「本当にエネルギー的なイベントがあるかも知れない」と言う思いが強まってくるに従って、何かこう、気分がイマイチなんですよね。
始めは、高揚感の様なものが強かったのですが、この先の社会的な変化に対する可能性を軽く抑えておこうと思って考え出したら、取り合えず目先の数年に限って言えば、あまりバラ色ではない様で、ちょっとブルーになったりしています。
真剣に深く落ち込むような事は無いのですが…。数日前までは、ポジティブ一色でしたし。(笑)
今日は何だろうなぁ、ちょっと、他の事も含めて、全体に不安定だなぁ。
まあ、いいや。たまにはこんな日もあるさね。
社会に受け入れられない(矢が飛んでくる)としても、どうせ、昔から社会に馴染めた事なんて無かったし。(笑)
まっ、今日はちょっと不安定でネガティブだったけど、風呂入ってポジティブになって寝よっと。
結局、そうした現実を引き寄せるのも、自分の波動な訳だしね。