アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

1つのシナリオとして

ここの所の私の楽しみは、繰り返し書いてきている様に、1つの可能性として2月下旬から3月上旬頃に来ると想定される、大規模なエネルギーイベントについてです。

これもまた繰り返し書いており、誤解の無いようにやはり繰り返し書くのですが、そうしたイベントが絶対に起きると決め付けている訳でもありませんし、その可能性を皆さんに押し付けるものでもありません。

ただ、私自身がそうした1つの可能性をとても楽しみながら吟味しており、面白くてワクワクして、それをシェアしたくてこうしてまた書いてしまうんですねぇ。(笑)

ちなみに、私は金融・経済の崩壊については、かなり昔から繰り返し起こる起こると何かあるたびに信じて来ましたが、こうしたエネルギー的な大イベントについては、基本的にこうしてその可能性を受け入れるような事はして来ませんでした。

2012年の冬至には、大きく話題とされていたような実感の伴うエネルギー的な大イベントは無いと思っていましたし、多分、ブログの記事の方にも直前には明確にその様な事を書いたような気もします。

そこに大きな意味はあっても、私達の誰もが、それを衝撃的なエネルギーイベントとして経験する事は無いだろうと言う事です。

2016年の秋にも、やはり大きな意味はあるだろうと思った上で、誰もが感じるエネルギー的なイベントと言う側面からも、あるかも知れないと言う可能性をある程度受け入れていましたが、今回のそれとは決定的な違いがあります。

その時は、バシャールなどのチャネリング情報を軸として、そこに自分のエネルギー感覚を重ね合わせてそう感じていました。しかし、今回は自分のエネルギー感覚を軸として、そこに催眠療法によって引き出されたと言う複数の情報を重ね合わせる事で、その可能性を感じ取っているのです。

つまり、前回はチャネリング情報に主体があったのですが、今回は自分自身のエネルギー感覚にその主体があると言う事です。

そこで、ちょっと1つのシナリオを考えてみる事にしました。それは、空想遊びであって、無限に広がる可能性の中の1つであり、過剰にそれを意識しない方が良いと思います。

ただ、そうした可能性を1つのシナリオとして意識の中に捉えておく事によって、アセンションと言うイベントを通過していく私達にとっては、自らの懐を広くしておく事が出来るのだとも思います。それは、とても大切な事だと言えます。

1.2018年2月の下旬、その前兆は「太陽の変化」に表れる可能性があります。それは、単発的で巨大な太陽フレアなどの表れとしても見られるかも知れませんが、より本質的には、黒点数の急増や太陽フレアの連発など太陽全体の異常な活発化と言う側面から捉えられるかも知れません。

ちなみに、近年は太陽活動が弱い時期の中にあり、今月10日頃にはやや活発化する気配があったのですが、そこからまた黒点(磁力が強い)数は落ち着いて来ています。通常であれば、上記の様な活発化は観測されにくい状況にあります。また、変化は必ずしも、人間に観測できる波動領域において表れるとは限りません。

2.太陽からの強まったエネルギーの影響は、周波数の高い領域でより強く、自然災害的な側面以上に、人々の精神的な側面により強く影響する事になります。

3.超自然的な現象として、電球や火などの光源が無い普通の空間の中に繊細でクリアな柔らかい光を感じ始めます。その光は、エネルギーの強い場所、電化製品の周辺や磁場の強い場所、あるいは波動の高い人の周囲などで特に強まるかも知れません。眩しく感じるのではなく、クリア・鮮明でありながら柔らかく感じます。

4.人々は白昼夢の中にいるかの様な感覚の中で、感動あるいはパニックなど、それぞれの世界観(信念)に応じた経験をする事になります。

5.そうした状況は、10日前後続く事になり、その後で光は治まり元通りの現実が帰ってきます。

こうしたイベントの本質の1つは、私達の経験している世界のエネルギー的な環境が大きく波動上昇すると言う事にあります。さらに、私達にとってよりリアルな側面としては、そうした「経験そのもの」にあるのだと言う事が出来ます。

そこでの経験が、その先に自らが引き寄せる未来を決定付ける事になます。しかし、こうしたイベントを各自がどの様に経験するかと言う事は、これまでに各自が、人生を通じて内面世界に育てて来たスピリチュアル的な信念によって既に大筋では決まっているのです。

こうした超自然的なイベントの最中に起こる事には、高次元存在達の直接的な関与、地球が次元をまたいでエネルギー的に分離する事によって波動の著しく異なる人たちを捉えられなくなる(消える)可能性などが考えられます。

しかし、こうしたエネルギー的イベントの有無を含めて、何があるのか無いのかは、実際にそうした可能性領域を通過してみるまでは誰にも分らない事なんですね。

そのために、先にも書いたようにこれはある意味では空想遊びに過ぎないとも言えるのです。ただ、そうした空想遊びを通じて、自分の懐を広くしておく事にはそれなりの大きな意味があるのだと言えます。

日本の人たちは宗教的な思想が薄いので、あまりこうしたイベントを受け入れるための下地が無いのですが、欧米などではキリスト教的な思想によってそうした下地があるんですね。

しかし、それでは欧米の方がより進歩的なのかと言えばそれは何とも言えない所であり、誤った先入観が逆に足を引っ張り、先入観の無い白紙の状態の方がよい場合もあるのです。いずれにしても、最終的には各個人の内面的な問題になりますが。

まあ、100人いれば、99人以上が何事も無く2月も3月も過ぎて行くと考えているのが常識であって、それはそれとして受け入れなければ、「あいつは狂っている」と言う事になり、力んでそうした常識に対抗して行く必要は無いと言えます。

そして、こうした可能性だけを信じきってパニックになるのでは、確かに狂っていると言われても仕方が無いのかも知れません。

様は色々な可能性を捉える事により、「今」と言う場に創造されていく自らの経験の中で、自分をどう表現し、どう成長させて行くのかと言う事を柔軟(臨機応変)にポジティブに楽しんでいく事が大切なのかも知れませんね。



イメージ 1









ブログランキング ← いつもクリックしてくれている皆さん、ありがとうございます。

ブログランキングが失速したなぁと思ったら、リンク先が電子書籍のほうと間違えており失礼しました。正しく戻しましたので、また、よろしくお願いします。