アセンションの時代

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自分を信じる

私達は、物質世界とスピリチュアル世界とのギャップに苦悩しながら、人生の舵を取り続けています。

物質世界において常識とされている、競争的な現実に主体を置けば、競争に勝って幸せになれるのだと言われていますが、実際には、終わり無く続く競争の先に調和的な幸せを掴みとった人はいません。

なぜなら、「競争(争い)」の先にあるのは支配そして崩壊でしかなく、そこに調和的な幸せがあると言うのは、ただ幻想を見ているに過ぎないのです。

そこにあるのは、エゴを満足させるに留まる「優越感や欲望」に過ぎません。それは、相手の不幸の上にのみ成り立たせる事のできる幸せモドキなのです。

幸せとは、スピリチュアル世界の持つ性質である「調和」の先に見えてくるものなんですね。自分と共に相手も幸せになれるのが、本当の幸せなのです。

私達のこの世界での挑戦は、物質世界での生存競争を主体とした社会に生まれながら、人生の原動力の主体を、競争的な価値観から調和的な価値観へと方向転換し、物質世界の中に調和的な幸せを映し出すことにあります。

そうした挑戦の当初は、物質世界とスピリチュアル世界に大きな乖離を感じ、現実を取るのか理想を取るのかについて大きなジレンマに囚われる事になります。

しかし、そのジレンマを乗り越えてスピリチュアル世界への前進を加速させ始めると、オモシロい事に、最終的には物質世界とスピリチュアル世界の乖離がなくなり、それらは表裏一体の経験世界として収束する事になるのです。

つまり、物質世界の競争的な現実も、実はその源は自らのスピリチュアル世界に抱え込んでいたエゴが投影されたものであったのだと言う事がわかって来る事になります。

物質世界と言うのは、エネルギー的な自分自身が映し出された鏡の様なものだと良く言われますよね。実はそれは比喩ではなく、真理なんですね。

ただ、鏡がエネルギー存在としての自分を、3次元地球世界と言う、物質的表現による立体ホログラム映像に置き換えて映し出しているというだけの事なのです。

つまり、内緒さんもコメントに下さったように、大切なのは、物質世界において押し付けられた常識に従うのではなく、スピリチュアル世界において自らが真実だと感じるものに自らを委ねる事なのです。

生存競争と言う社会の常識に従っている限りは、そこに映し出される経験世界に、調和的な変化が起きることは無いんですね。

私達は、それが自らの外からやって来ることを期待し、そして待ちますが、どんなに期待してどんなに待っても、調和的な変化が自らの外側からやって来ることはありません。

自分が変わらないのに、鏡に映し出されるものが勝手に変わる訳はないですよね。

私達は右手を物質世界に引っ張られ、左手をスピリチュアル世界に引っ張られる事で、そこに大きなストレスを感じ取っています。

しかし、答えは簡単で、スピリチュアル世界に向いて進めばよい事は明白です。ただ、それを物質世界の現実の中で、どのように表現していくかと言う点において、マインドの能力を必要とする事になるのです。

そして、気がつけば、物質世界とスピリチュアル世界はいつの間にか、調和に向かって併走しながら自分を引っ張っている事に気付く時が来ます。

今日は、記事として書きたいことが思いつかなかったので書かないつもりだったのですが、内緒さんがコメントしてくれたので、そこにテーマを見つけることが出来ました。ありがとうございます。



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