アセンションの時代

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花粉症・アレルギー

花粉症・アレルギーについてリクエスト頂きましたので、捻り出して何か書いてみようと思います。(笑)

基本的に全ての事に言える事なのですが、全ての経験は自らが創造し引き寄せていると言うのは、スピリチュアル的・多次元的な世界観における最も基本的な考え方になります。

ただ、どの部分での創造かや、その経験に対する解釈の仕方についていい加減に捉えていると、愚痴や反論が出るばかりでそれと向き合うことが出来なくなってしまいます。

例えば、自らの創造と言っても、顕在意識による創造もあれば、潜在意識や魂としての側面からの創造もあります。

また、同じ表れであっても、解釈一つでその意味はガラリと変わることになるんですね。

例えば、花粉症やアレルギーと言うのは、そうした反応を示す肉体の側に問題があると捉えられがちですが、過剰な花粉を生み出す環境や、農薬・化学肥料などを当たり前に含む食品の側にも問題はあると言えます。

肉体は、花粉症やアレルギーを通じて、そうした現実を私達に警告してくれてもいるのです。

そうした経験をする人・しない人と言う区別がありますが、1つには、生まれてくる時にそうした経験をしやすい肉体を選んで生まれてきていると言う事があると思います。

そうした経験を通じた学びが、もっとも効率的だという判断のもとで、それが選択されているのです。

人にもよるでしょうが、食などを通じた自然環境との調和と向かい合う事によって、そうした問題を解決し、豊かな自然環境の下で誰よりもそれに感謝しながら生きている人たちもいるんですね。

例えば、喘息に苦しみ悩んだ挙句に、都会を離れて田舎へ移住し、健康的に暮らしている人たちもいるのです。

あるいは、農薬や化学肥料を排除した自然食品の購入や、家庭菜園で自らそれを栽培する事で健康的な生活を取り戻していく人たちもいます。

肉体的な顕在意識から捉えれば、その先の健康的な生活が目的になるのですが、魂の視点から見れば、それと共に「そこへ至る過程における学び」にも、それに劣らぬ目的があるのです。

あとは、自分自身の肉体との調和と言う側面から、それを見ることも出来ると思います。

一部の、子供のアレルギーなのですが(全てがそうではありません)、いわゆる汗疹(あせも)が拡大したものである場合が多いと思うのです。

私も子育てを経ているので、自分の経験からなのですが、肘や膝の内側、首や背中と言うのは、お風呂に入っても意識的にキチンと洗わなければ、どうしても汗が残りやすい場所なんですね。

それが習慣になると直ぐに汗疹が出来ます。汗疹が出来ると痒いので子供は爪を立てて掻きます。当然、皮膚は痛むので親は病院へ連れて行きます。

病院は生活習慣を教育する機関ではありません。病気と言う側面からそれを診断してクスリを与えるのが仕事になります。慢性的に薬を与えれば、皮膚は弱くなるんですね。

汗疹が酷くなってしまうと、石鹸を使わずに毎日綺麗に洗った上で、補助的に薄くクスリを塗るなどして直して行くと良いと思うのです。

しかし、石鹸を使ってもそれが出来ていなかった状態でその問題に気付かず、薬に依存してそれで直そうとするのでは、悪い状況が定着してしまったり、直ってもまた同じことの繰り返しが始まってしまうんですね。

つまり、私達は肉体的な経験の中にいる以上は、その肉体と調和して生きていくことも大切だと言う事なのです。

ただ、アレルギーと言っても、色々な症状・原因があり、そう言うレベルではない本当に酷いものもあるのですが、それはそれなりに、やはり何らかの意味があって魂が引き寄せた経験であり、ポジティブな視点を持ってそれに取り組んでいく事を自らの魂は望んでいるはずなんですね。

私が、そうするべきなんだと、押し付けるつもりはまったくありません。ただ、多次元的な世界観に照らし合わせて捉えるのであれば、そうした解釈をする事が出来るんですよと言う話しです。

花粉症については、個人的にはストレスが大きく影響しているのではないかと言う思いがあります。もちろんこれも、それがすべてと言うつもりはありません。

私は、特に中学生の頃は花粉症が酷かったんですね。当時は、そうした言葉はまだ一般的では無かった様な気がしますが。

しかし、大人になってからは特に症状が出なくなったのです。

1つには、成長期で肉体的に不安定な時期で症状が出やすかったという事もあるのかも知れませんが、もう1つには悩める時期でストレスも多かったんですね。

しかし、高校生の頃に、「運」について色々と考えた事があったんですね。「なんで、運の良い人と悪い人の区別があるのだろう?」と不思議に思っていたのです。

そして、「好きな事をやっている人は運が良い。」と言う結論に達したのです。つまり、ポジティブな姿勢がポジティブな結果を引き寄せると言う事に気づいたんですね。

それによって、社会に対する否定的な視点から、そんなものとはお付き合い程度に付き合って、自分の中にポジティブな姿勢を育てていこうと言う意識を明確に持ち始めることになりました。引き寄せの法則みたいなもんですね。

偶然かも知れませんが、その頃から、花粉症は出なくなったのです。

(あれっ、庭の金柑がヒヨドリに全部食べられちゃったなぁ。1つも見当たらない。(笑))

例えば、そうして自然や肉体との不調和、ストレスなどと言う問題を乗り越えていく過程を経験する時に、全ての魂が花粉症やアレルギーを素材として選択している訳ではなく、それとは異なった角度からの経験を選択している人たちも大勢いるんですね。

従って、単純にそれを人と比較する事には、まったく意味はないのです。例えば、「何で私だけが、こんなに苦しまなければならないの?」と言う様に。皆がそれぞれの選択をして来ているのであり、そうした自分の選択に文句をつけていたのでは、目的とする学びは全然進まないのです。

頂いたご質問に戻って締めたいと思いますが、この季節に花粉症・アレルギーが増えるのは、エネルギー的に何か関係があるのかと言う事ですが、(全てはエネルギーなので区別が難しいとも言えますが)自然のサイクルの中で、そうした経験に適した環境が春であると言う事なのかも知れません。

例えば、エネルギーの影響による私の偏頭痛は、昔から春分前後が年間を通して最も酷いように、春と言うのは自然や人々のエネルギーが不安定になりやすい時期でもあるのかも知れません。

それは、新しい事が始まるのに適したエネルギーでもあり、それを切っ掛けとした新しい目覚めが期待されていたりもするのかも知れませんね。

ただ、それは1つの経験を生み出すための波であり、それをどう乗り越えるかは各自のあり方次第なのだろうと思います。



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