アセンションの時代

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「エネルギー体」が表れて来る過程

これと言ったテーマを思いつかないので、雑感として何か書いてみようと思います。

(結局、エネルギー体としての記事になってしまったので、表題を変更しました。)

エネルギー感覚の方は、かなりのペースで変化が続いています。これまでにも書いてきていることではありますが、私達のエネルギーと言うのは、極端に前方に飛び出した状態になっています。

それが、物質世界に囚われた経験をしている時の、人間のエネルギー状態なのだと言えると思います。

正確な表現ではありませんが、分りやすくするために強引にイメージとしてそれを例えてみると、上下左右に2メートルくらいで、前後に10メートルくらいのラグビーボールの様なエネルギーを前に抱えているような状態なのです。

(距離と言う感覚自体が幻想であるために、エネルギーの濃淡によって生み出される感覚を物理次元のメートルに置き換えて例えている訳ですが。)

それは、そのままに私達の意識が向かっている方向を表しています。私達の意識は、基本的に視覚によって前方に向けられていますよね。そして、上下左右にはそこまで広くなく、後方にはほぼ向けられていません。

私達のエネルギー体と言うのは、基本的には誰でも肉体を包む球体として存在しているのではないかと思うのですが、物質世界に囚われている状態では、上に書いたように極端に前方に偏って感覚が生み出されているのです。

私が直接的にエネルギーを感じ始めてから7年半くらいになると思うのですが、その間に私が辿ってきた道のりを整理してみます。

1.頭部にエネルギーを感じ始める。

2.頭部・胸部・手などの間で、エネルギーの移動を広げて行く。

3.足(脚)を除く身体内に、エネルギーの感覚・動きを拡大させて行く。

4.手のひらの上、眉間の前など、肉体の外側にエネルギー感覚を拡大させて行く。

5.肉体の前方にエネルギー感覚を拡大していく。(前方1メートル程度、3メートル、5メートルと、段階的に拡大していく。)

6.前方の空や海と言うスケールにまで感覚を拡大していく。(この段階で、物理的な距離感とエネルギー的な距離感の乖離が強くなります。つまり、それらが一致せずにまったく別々に感じられるのです。)

7.「徐々に」物理的な距離感からエネルギー的な距離感に、感覚の主体が移り始めます。それに伴って、それらの間に生まれていた乖離が無くなって来ます。

物理的な距離感と言うのは、これまでの常識的な感覚であり、遠くにあるものが小さく見えると感じて来ました。しかし、エネルギー的な感覚の中では、エネルギー的な影響の小さいものが小さく感じられるのです。

それは、主体が視覚から感覚(感じるもの)に移行していく過程でもあります。そもそも、エネルギーと言うのは、感覚を研ぎ澄ましていった感覚だとも言えるのです。

8.頭頂部の上や首の後ろにエネルギー感覚が広がり始める。そして、著しく前方に偏って飛び出していたエネルギー感覚が、肉体を中心として自分の方に少しずつ戻ってくる過程を辿り始めます。

9.背中や足の裏の皮膚感覚が、エネルギー感覚として肉体の外側に広がり始め、皮膚感覚など全身の感覚から、肉体的な枠が徐々に薄くなり消え始めていく。

10.そうしてエネルギー的な感覚の密度が増して行く事によって、エネルギー体としての大雑把な輪郭が感じられてくる。

それは、明確な輪郭として表れると言うよりも、自分のエネルギー感覚が及ぶ領域として感じられる事になる。

この時点では、かつて前方に飛び出していたエネルギー感覚の重心は、自分のハート(心臓)の位置に治まって来る事になります。

かつては、外側に映し出された物質世界を中心にして自分と言うものを感じていたのですが、この段階まで来ると自分自身を中心として、映し出される世界を経験していくことになって来ます。

エネルギー・感覚・経験などは、それぞれにバラバラに進歩して行くものでもなければ、ある時点で突然に目覚めて一気に完了するものでもありません。

全ては一体的であり、小さな目覚めを繰り返しながらその成長の過程を辿って行く事になります。

私は取り合えず今の段階まででは、上に書いた10のステップを、この7年半の時間の中でコツコツと進んできたと言う事になります。

ただ、誰もが同じ時間的なペースでそれを進むというものでもありません。明らかに、私達が存在する世界の環境的なエネルギーは、桁違いに増大し続けており、これから訪れるイベントなども取り込みながら、私とは比較にならないハイペースで進んでくる人たちも大勢出てくる事だろうと思います。

あるいは、この過程を数十年、数百年(転生を含めて)かけて進んでくる人たちも大勢いることだろうと思います。

今さら言うのもくどいかも知れませんが、一応念を押しておけば、それは優劣の問題ではなく、単に魂の必要・選択によって辿るそれぞれの過程であり、そこで得られるそれぞれの経験にそれぞれにとっての最大の価値があるのです。

変化のスピードによって比較し、優劣の価値観を持つと言う事は、寿命と言う限界を持った肉体的エゴの発想であり、極めて3次元的な発想なんですね。

自分の感覚・経験に意識を集中して、その価値を受け入れる事で、誰もが自分自身のオリジナルロードを前進して行く事が出来ると良いのではないかなぁと思います。



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