アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「エネルギーの高まり」と「天変地異」

頂いたコメントから、最近のエネルギー変化による世界的な変化の表れ方や、日常現実の中での変化の表れについて書いてみたいと思います。

(世界的な変化の表れだけでそこそこのボリュームになってしまったので、日常現実の方については、記事をあらためさせてもらいます。)

まず、エネルギーの変化があまりにも急でありすぎると、天変地異を伴ったカオス的な形でのアセンションになると言う話があるのですが、それについて少し書いてみます。

基本的に、私達が現時点で辿っているタイムラインにおいては、地球規模での人類滅亡クラスの天変地異は既に回避されたと考えられます。

例えば、2000年前後には多くの終末論や人類滅亡説が出回っていましたが、それらは別のタイムライン、つまり平行現実において起こった出来事であると言う事が出来ます。

惑星地球がアセンションを行う上では、そうした早いタイミングでアセンションを実行する事がより確実な選択肢であったのです。

ただ、そうした時点では、人類の目覚め(波動上昇)が充分に進んでいなかったために、人類はほぼ滅亡する事になってしまい、人類が肉体を維持したまま地球規模でのアセンションをする見込みはありませんでした。

高次元存在達の間では、惑星地球のアセンションが最優先であり、より確実にそれを行うためにそうした早い時期にアセンションを行うと言う強硬派や、人類の目覚めをギリギリまで待つという穏健派の間でかなりの議論が交わされたのだとされています。

ただ、最終的には惑星地球の総合意識と、地球人類の集合意識の選択によって、ギリギリまで人類の目覚めを待つと言う選択がなされました。

そして、惑星地球はギリギリの限界まで人類の目覚めを待った上で、2012年の冬至アセンションを成功させています。それは、アセンションが完了したと言うよりは、アセンションへの道筋がつき、そこへの到達が約束され本格的な前進が始まったと言う事です。

そのおかげで、人類も地球規模で、肉体を保ったままアセンションするのに必要なだけの覚醒が進みました。

これによって、隕石の衝突や火山や地殻変動による、人類滅亡クラスの地球規模での天変地異が起こる可能性は無くなったと言えます。ただ、それはあくまでもアセンションをする人たちの、4次元へと繋がるタイムラインでの話です。

ただ、私達の視点からは、そこまでのものでなくても充分に天変地異と感じられるものはある訳で、東日本大震災もそうでしたが、富士山の噴火や南海トラフ、あるいは首都直下型の大地震では、それを桁違いに上回る被害が考えられるのです。

例えば、惑星地球と言う視点から見て、4次元に相応しいアセンション後の状態になるために、大地をアスファルトやコンクリートジャングルで多い尽くした大都会と言うのは、このまま維持された方が良いと思いますか?

それが4次元の調和的な惑星地球に相応しいのであれば、それは維持される事になりますし、そうでなければいずれそれらは取り除かれる事になります。どの程度の時間をかけるのか、どの様な過程を経るのかはわかりませんが。

例えば、洪水やハリケーンなどは、人類にとっては災害なのですが、惑星地球にしてみれば、水で身体を洗ってドライヤーで埃を払ったり乾かしたりして、4次元に相応しく身なりを整えているようなものなのです。

その時、エネルギーが強になれば、人類にとっての災害が大きくなり、天変地異と思えるような出来事も起こる可能性が高くなるという事は、コメントに頂いたとおり確かに考えられる事だと言えます。

ただ、それらも私達が思うほどに単純にそれが起こるものではなくて、私達が経験しているアセンションと言うイベントには、信じられないほどに多くの存在達によって支えられているのです。

つまり、そうしたものは全体のバランスの中で、起こるべき時に起こり、その必要が無ければ起こらないと言う事が言えるのです。

何に必要で何に必要ないのかと言えば、人類を含むトータルでの惑星地球のアセンションに必要かどうかと言う事なんですね。それは、各個人についても同じことですが。

コメントにも頂いたように、そうした変化が表れないと、人々は「何も起こっていない」と感じてしまうために、ショック療法としてそうした自然災害がポジティブに働く場合もあるんですね。

惑星地球としても、豊かな自然を取り戻すためのポジティブな変化の表れと言う意味もあるでしょうし。

結局は、起こる必要があれば起こり、起こる必要が無ければ起こらないと言う事なんですね。

私達はそれを疑って、いたずらに不安に囚われるのではなくて、起こった現実を受け入れて委ねる中で、自分自身がどうあり、どの様に自らを表現していくかと言う部分に意識を集中していけば良いのだろうと思います。

とは言え、色々な知識と戯れるのもオモシロい事であり、それに囚われてしまわない程度にそうした現実を楽しむのも、この現実の中にいる楽しみの1つであり良いのではないかとも思います。

と言う具合に書いては来ましたが、結局のところまとめてみると、それはムハマッドさんのコメントに頂いたとおりだと思います。

つまり、「今のように表面上はあまり分からない変化が望ましいのでしょうが、多くの人が「何も起こっていない」と感じてしまうのも残念です。」と言われるとおりだと思います。

大きな変化が表れてからパニックになるのではなく、小さな変化が表れているうちに、それを感じ取って、調和的な自分へと変化を進めて行くことが出来るといいですよね。

長くなりましたので、日常の変化に関することについては、次の記事で書かせて頂こうと思います。



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