アセンションの時代

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中国・パキスタン放浪の旅

専門学校を卒業した直後から、二十歳の頃に2ヶ月ほど海外を放浪してきた事があります。25年くらい前の話になりますが、今日はその時に感じた事をいくつか拾って書いてみたいと思います。

(1)人間社会の小ささ

船で上海に向かったのですが、360度見渡す限り海しか見えないんですね。ただ何も無く、水平線に取り囲まれているだけで、大きさの尺度や距離感が普段とはまったく違って感じられるのです。

船の中には大勢の人が乗船していて、そこには人間社会としての日常があるわけなのですが、自分達が、大きなプールの真ん中に浮かんだ木の葉の上のアリの様に感じられました。

そして、帰りはパキスタンから飛行機で帰ってきたのですが、自分の住んでいる半島が、水に浮かんでいる紙の様に見えたのです。

つまり、遥か上空から見下ろせば、大地や山の高さなど海面の高さと殆ど変わらないんですね。海に大きな波を立てたら、簡単に半島全体が洗い流されてしまいそうに感じられたのです。

ちっぽけだなぁ。あんな小さな所で、日常の全てが展開されているんだなぁと驚いたのを覚えています。

(2)知識と経験は別物である

上海の港に到着して入国審査を経て、港の建物からいきなり大通りへと抜け出たのですが、空気が違うんですね。

何が日本と違うと言って挙げだせばキリは無いのですが、圧倒的な違いとして感じたのは空気(雰囲気)が違うという事なのです。

どんなに本や映像で調べても、この雰囲気を感じ取る事は出来ないはと強く思いました。それにも直ぐになれて行くのですが、最初は雰囲気に押されて自然と壁に張り付くように端っこを歩いてしまうんですね。

(3)異なる現実も存在している

北京の公園で、池のほとりのベンチで休んでいた時なのですが、「今頃みんなは、入社式や社員研修をしている頃だろうなぁ。」と思ったことがあります。

それが、社会常識的には私自身も辿るはずであった現実なんですね。しかし、私はそれとは異なる現実を選択して、春の日差しの北京の池のほとりのベンチでたそがれている現実の中にいるのです。

線路の上を走っていると、その線路上にある出来事だけが現実であるように感じられるのですが、自らその集団列車を降りて線路の外を進んでみれば、そこにもキチンと現実は広がっていたと言う事なのです。

(4)集団になると冷たくても個人個人は優しい

国などと言う大きな単位で見た時は、必ずしも良好な関係に無くても、顔を突き合わせて個人と個人の関係になれば、多くの人たちはとても友好的で、お互いが関係する事に興味を持っていると言う事を感じました。

地図を広げて道を尋ねれば、周りの人が集まってきてそこに人だかりができ、討論会が始まるんですね。そして、身振り手振りでみんなで教えてくれるのです。

駅や列車でも、筆談を通じて直ぐに人の輪が出来るのです。そこで教えてもらったのですが、中国人と言う人種はいないんですね。その中心になっているのは漢民族であって、その他、中国に存在する多くの民族の総称が中国人なのです。

そうした人種の話をする時は、あまり良い顔を見せない時もあるのですが、そうした人々でも個々で会話をする時には、にこやかに言葉を交わしているんですね。

(5)子供の笑顔は万国共通

洛陽からトルファンまでは、列車で3日くらいかかったのですが、女の子がいつも近くにいてくれて、一緒に弁当を買いに別の車両をどんどん通り抜けて行ったりしてとても楽しかったです。

どこでもそうなのですが、子供は笑顔と表情・ジェスチャーで直ぐに友達になってくれるので、とても接しやすいです。子供と仲良くなれば、親とも仲良くなれますし、親と仲良くなれば周囲の大人たちも加わって来ます。

(6)言葉は意思疎通のための方法の1つに過ぎない

駅の待合で隣り合って筆談をしていた人に、別れ際に「シェイシェイ(ありがとう)」と言ったのです。ニイハオ・シェイシェイだけは知っていると自負していたのですが、何と通じなかったんですね。発音が悪かったのだと思いますが。

それで開き直って、旅行中は殆ど日本語で押し通しました。その方が感情や気持ちが伝わるんですね。そこにジェスチャーや状況判断が加われば、ある程度の意思疎通は出来るのです。

(7)日本人の常識が世界の常識である訳ではない

外国人用の切符売り場に並んでいた時です。売り場が部屋になっていたのですが、部屋の入口はまだ開いていなかったのです。そして、列になって開くのを待っていたのですが、部屋の扉が開くと、皆が窓口に向かって猛ダッシュしたのです。

多くは中国人で、ある程度のお金を持っている人たちだと思うのですが・・・。さっきまでの整然とした列はなんだったの?と言う感じでした。

多くのトイレで、大の方をする所に扉はありませんでした。そこに行列を作って待っていられたのでは、外国人用のトイレを探すしかありませんでした。

パキスタンで仕事をしていた人に道を聞いたら、何十分もかけて話しながら歩いてその場所まで案内して行ってくれました。さすがに、「案内料とか請求されるのか?」と不安になったのですが、その建物が見えたら、「あれ、あれ。あそこに見える建物ね。じゃあね、バイバ~イ。」と行ってしまいました。

これからまた何十分もかけて戻って、仕事は?って、その感覚が不思議でしたが、何かいいよなぁと思いました。

(8)ボッタクリもあるが好意もある

観光地のタクシーは、外国人に対してぼったくって来る事が多いです。大半や許容範囲だと思いますが。

しかし、私はトルファンの村はずれを散歩していたら、タクシーの若者に声をかけられて、無料で泊まっているホテルまで乗せて行ってくれました。

小さな村なので、顔を見かけて泊まっているホテルを知っていたんでしょうね。言葉はお互いまったく通じないので、ジェスチャーにつられてタクシーの助手席に乗っただけだったんですけれど嬉しかったです。

帰国してから何年も後の事なのですが、仕事中に駅前で中国人の女性に道を尋ねられたことがあったんですね。

本人は歩いて行くつもりだった様なのですが、既に夕方でしたし、歩いていける距離ではなく、遠くだからそこのタクシーで行った方がいいよと伝えて別れたのです。

ただ、タクシーに乗る気配が無かったので、職場に戻ってからも気になって、住宅地図を抱えて車で駅に戻ってみたんですね。

すると、駅前の店から困り果てた顔でその女性が出てきたのです。手招きをすると駆け寄って来たので、車に乗せて送ってあげたのですが、とても感謝してくれて嬉しかったし、中国の人に少し恩返しが出来たかなと言う気持ちもありました。

(9)自分は恵まれている

洛陽で、駅前から荷車をエンジン付き自転車で引っ張って行く乗り物に乗ったのですが、まあ、ぼったくりと言えばぼったくり(許容範囲ですが)なのですが。

30歳くらいの人なのですが、途中でエンジンを切ってペダルを踏み出したのです。平地なのですが、道が微妙に登り気味になっていたんですね。

一生懸命にペダルを踏んでくれるんですよ。汗をかきながら。

その後ろに乗っている自分はと言えば、ちょっとアルバイトをしたお金で海外旅行をしている若者な訳で。

考えてみれば、人類の歴史において、こうした旅を出来る環境に生まれてきた人って殆どいないんだろうなぁと思うのです。

恵まれているなぁ~って凄く感じました。

(10)無いところから有るものが見える

トルファンの村はずれの砂丘の上から砂漠を見渡した時に、ただ、延々と荒地が見えたのです。

日本はオモシロくない。中国なら砂漠があったり何があったりと、色々と思っていたのですが、日本の豊かな自然の美しさ、ありがたさが、それ以来とても強く感じられるようになりました。

砂漠を見る事で、豊かな自然を知る事が出来た。・・・で、砂見漠とした訳なのです。

チャンチャン♪



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