アセンションの時代

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「あるはずの物が無い」の意味

ののさんから頂いたテーマで書いてみたいと思います。テーマがあるととても書きやすいです。テーマを与えられないと、書きにくいと言うよりもエネルギーのこと以外には書けなくなって来ており困ったものです。(笑)

今日は、「あるはずの物が無い、無いはずのものがある」と言う経験についてです。ここでは、「あるはずの物が無い」を例にとって書いていきますが、「無いはずのものがある」と言うのも基本的には同じことです。

「あるはずの物が無い」つまり、物が無くなってしまったと言うのは、物質世界の常識では、「使った時に戻し忘れた・探し方が足りない・他の人が持って行った」等々として解釈される事になります。

それはそれとして、3次元世界での経験としては正解だと思います。私たちは実際に物質世界の視点からは、それをその様に経験しており、それを否定するつもりはありません。

ただ、それは3次元と言う枠に囲まれた世界の中での現実であって、その世界を包み込む4次元という枠の中には、それとは異なった現実と言うのも存在しているんですね。さらにそれらを包み込む、より大きな5次元と言う枠の中にも、また異なった現実が存在しているのです。

3次元では「物質(出来事)」を主体に経験を生み出して行きますが、4次元では「物質とエネルギーのバランス」の中に主体を置くことになります。そして、5次元では、純粋にエネルギー(スピリチュアル)的な視点から物事が捉えて行く事になるのです。

ここでは、5次元的な視点から少し書いてみたいと思います。4次元は、そうした5次元と3次元の混ざり合ったバランスの中に視点・主体が存在しているようなイメージです。

まず、3次元の現実では上にも書いたように、物質(出来事)に主体を置いて、そこから自分のあり方や行動を推測して決めて行きます。つまり、「物が無くなった」事に「主体」があって、そこから派生して自分がどうであるか、どうであったかが決められるのです。

そうした発想が、3次元的な経験を支え生み出しているのです。

では、5次元的な視点からそこに見解を加えてみるとどういう事になるのでしょうか?

(それは、絶対的な回答ではなく、私の個人的な解釈です。正解として鵜呑みにするのではなく、1つの参考として自分の考えをまとめるために利用していただければ幸いです。)

5次元的な発想では「自分(スピリチュアル)に主体が置かれる」事になり、「必要によって(意味があって)それが表れている」と解釈されます。

つまり、物が無くなったのは、「自分の波動が「ものがある」と言う状態からズレた。」ために起こったことであり、そこには何らかの意味・サインが含まれているという事です。

これは、物が無くなったと言う出来事に限らず、自らの経験世界の中に表れて来ることと言うのは、全てがその様にして自分自身の波動を映し出しているものであり、そこにはスピリチュアル的な目覚めを進めて行く、あるいはそれを楽しんで行く上での意味があるのだと捉えられます。

物が無くなった時、「自分の経験にそれが表れた意味」からその経験を捉え展開させて行くんですね。

例えば、そうした小さなトラブルが続いていれば、少し息抜きをしてリフレッシュする事を促すサインだと解釈出来るかも知れません。

たまたま、その時に見つからなかっただけであれば、落ち着いて他人にあたらない為の練習の機会かも知れません。

急いでいて、どうしてもそれが必要な状況であれば、より広い視点から落ち着いて柔軟なリカバリーをするための練習の機会かも知れません。

それらはどれも、「物質的な表れ」に主体が置かれたものではなく、「スピリチュアル的な経験」に主体が置かれているんですね。

つまり、波動的に不調和な部分があり、それを修正するための機会としてそうした出来事が経験の中に映し出されたと言う事で、「物質的な経緯」と言うのは後付の理屈であって、エネルギー的な視点からは意味が無いとは言いませんが、あまり意味は無いのです。

この様に、「物が無くなった」と言う物質的な表れ(出来事)に主体を置いて経験を生み出すのが3次元世界。

「それをどう経験するか」と言う、スピリチュアルな解釈によって経験を生み出すのが5次元的な見解なのです。

つまり、5次元的な視点からしてみれば、物が無くなったと言う事に対する「物質的な経緯」にはあまり意味が無いんですね。実際に3次元の現実を生きている訳ですから、それに無関心ではいられないのですが、考えて探して分らなければ、それ以上に物質的な経緯を追いかけて追求しても意味はないのかも知れません。

それよりも、そうした出来事が経験を創造するための切っ掛けとして表れた意味を重視するのです。

それは、自分の波動がそれが見つかる状態に一致すれば、その時はまた、それを見つけると言う経験をする事になります。つまり、波動のズレが解消されれば、何らかの物質的な経緯を従えて、その物が見つかるのです。

そうした機会が、こうした世界観に対する見解を引き寄せてくるかも知れませんし、見つけてくれた誰かとの繋がりを強める切っ掛けになるかも知れません。

「出来事」と「経験」と言うのは異なるもので、「出来事」を切っ掛けにしてそこに意味・解釈を加える事で自らが経験を創造しているのです。5次元的には。だから、「無くなった」と言う切っ掛けを利用して、自分がそこからどの様な経験を生み出すかが重要なのです。

しかし、3次元の現実では、「出来事=経験」と捉えられがちで、自らその経験をコントロールする余地がほとんど無いんですね。

ちょっと、今日は話のまとまりが悪かったですね。(笑)

基本的に4次元や5次元的な見方を捉える上では、その前提となる多次元世界の仕組みが理解出来ていなければ、それを正しく解釈するのは難しいかも知れません。

そうした前提となる世界観も伝えようと思ったり、そこまで書き出したらきりが無いと思いながら書いていたら、自分でも何を書いているのか分らなくなって来てしまいました。(笑)

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PS : 今日もエネルギーが強いです。圧力的なエネルギーの中心が、眉間から前頭葉?に広がり、圧力を消しながら後頭部から頭部の後方辺りを経由して、ハートと繋がり始めています。

現時点での実感からすると、また、前回のように数日~10日程度の通常より長く継続しそうな感じがあります。

こうしてエネルギーが強まった環境の中で、色々な角度からエネルギー的に新しい感覚がチョイチョイと表れてきており、こうした機会を捉えて、どんどん引き出せるものを引き出せていけるといいなぁと思っています。



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