アセンションの時代

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価値判断と感じるもの

今日は、Jさんから頂いたテーマで書いてみたいと思います。

まず、「エネルギーの性質」と「価値判断」の違いについて見て行く所からはじめたいと思います。

こうした区別と言うのは、全体的にはまだ、あまり意識されていない傾向があり、言葉の使い方なども曖昧な表現になりがちである事が多く、こうして1つのテーマとして取り上げるのに適した題材だと思います。

まず、「エネルギーの性質」について見てみましょう。

「分離的・調和的」「痛い・気持ちよい」「空腹・満腹」「低い・高い」「遅い・速い」など、エネルギーの二極的な表れの組み合わせによって、表現世界と言うものはありたっています。

ここには、はじめから「良い・悪い」と言う「意味」が含まれている訳ではありません。単純にエネルギー的な性質が表されているだけなんですね。

私たちは、そこに、「良い・悪い」と言う価値判断を加える事によって、自らの経験を生み出して来ました。

「分離的なあり方は悪い・調和的なあり方は良い」「空腹は悪い・満腹は良い」「移動が遅いのは悪い・移動が早いのは良い」等々。

こうした価値判断と言うのは、基本的にマスコミや教育によって与えられ、社会で共有している価値観なんですね。

それは、マスコミ関連の企業を所有し、教育方針を打ち出す人々に権威を与えている人々によって私たちに与えられて来たものなのです。

そして、そうした価値判断を加える私たちの習慣が、競争・争いを基盤とした社会システムを支えています。

典型的な例は、自分達は「良い」のに、あの人達は「悪い」。それなのに言う事を聞かないから、その人たちをやっつけて「良い」状態にしてあげよう。お互いがそう考える事で、多くの戦争や犯罪が今でも繰り返し生み出されているのです。

そうした価値判断と言うのは、「思考」が生み出しているものなんですね。私たちは、上に書いたようにマスコミや教育によってそうした思考をコントロールされており、そうした状態を「マインドコントロール」と言います。

それによって、これまでの搾取・支配的な社会システムが維持されて来たのです。

私たちは、こうした価値判断をやめる必要があるんですね。では、それを止めてどうしたら良いのか?

それは、ハートによって「感じる」事です。それは、自分にとって心地の良く引かれるものなのかどうか?

分離が悪く、調和が良い訳ではありません。それは捉え方次第なんですね。例えば、分離と言うのは、調和を理解する上で、とても良い学びの機会なのです。

3次元世界と言うのは、分離的な経験世界なのですが、それは「悪い」と言う意味ではありません。そこでは、エネルギー世界では考えられない程に、魂が急速な成長を遂げる事が出来る、特別な学びの機会として存在しているのです。

だから「良い」と言う意味でもありません。自分がそれをどう「感じる」かと言う事なのです。そこに魅力を感じるのか、あるいはそうではないのか。それが大切なのです。

「暑い・寒い」「空腹・満腹」等、他の全ても同じことです。それが、「良いか?悪いか?」と言う価値判断による捉え方と言うのは、本来は必要の無いものなのです。

自分がそれを「心地よく感じるか?不快に感じるか?」それが大切なのです。心地よく感じるのであれば、そこに向かって進めば良い訳で、不快に感じるのであればそこからは離れれば良いのです。

例えば、スピリチュアルな話の中では、「調和」が良い事だと捉えられがちですが、実際にはそうではないんですね。

(言葉のあやとなっている部分もあり、揚げ足を取るわけではありませんが、ここでは明確にするためにこだわってみます。)

調和と言うのは、私たちにとって「心地よい感覚」をもたらすのです。だから、私たちはそこへと向かって行くんですね。他の諸々も考え方は同じなのです。

誤解を避けるために補足すれば、「砂糖の甘い感覚(味覚)」が良ければそこに向かい続ければ良いのか?と言う疑問が生じたとします。

それは、物事の解釈が分離的(部分的)で、調和的(全体的)ではありません。感じる事を大切にすれば良いのですが、それは「今さえ良ければそれで良い」と言う訳ではありません。

そうする事が「悪い」と言う意味ではありませんが、それは結果的に「心地の悪い」状態を引き寄せる事になります。

それは、今の中に存在している可能性(未来)を無視した状態ですし、味覚に偏って他の感覚とのバランスも無視されています。

この様にそれを実践していく上では、「価値判断」と言う部分的な問題だけではなく、世界観全体の中でトータルにそれを表現していく必要があるんですね。

「良い・悪い(思考による価値判断)」「心地よい・不快(ハートによる感覚)」「怒れる・笑える(感情)」

これらはそれぞれに、それが生み出される源や性質、あるいは人生を創造していく上での役割などが異なったものたちなんですね。

ところが、私たちはそうした仕組みなどを学校で学んでいませんよね。

学校で学んだのは、微分積分や使えない英語、使ったためしの無い古文や漢文など。そして、価値判断ですね。「勉強が出来るのは良い・出来ないのは悪い」「走るのが速いのは良い・遅いのは悪い」等々。

だから、私たちは自分と言う存在・経験の仕組みがあまり良く分っていないのです。

う~ん、ちょっと良くない(言葉のあやになりますが)かも知れない。こうしたテーマは、どこまで書くか、表現の仕方などに悩みます。取り合えずここまでにします。



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