アセンションの時代

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「エネルギー感覚」を捉えるには

肉体的な感覚は感じるけれど、エネルギー的な感覚は感じることが出来ないと言う人は多いと思います。

しかし、肉体的な感覚や感情的なものを含む、全ての「感じる」ものは、実はエネルギー体(感覚)によって生み出されているエネルギー由来の経験なんですね。

つまり、何であれ「感じる」ことが出来るのであれば、それはエネルギー感覚によって生み出されたものであると言う事なのです。

ただ、私たちは本来、自由度の高いエネルギー感覚に、肉体的な型枠をはめる事によって肉体的な感覚として経験しています。

5次元以上の高次元から私たちを見ると、私たちは個々の光る球体に見えると言われています。私たちの目の前に映し出されている物質世界と言うのは、そのエネルギー的な球体としての自分の中に映し出されている仮想現実なんですね。

従って、「認識」や「感覚」をコントロールすることによって、私たちは肉体的な型枠を徐々に取り外して、肉体的な型枠に囚われないエネルギー的な感覚を経験していくことが出来るようになるのです。

私たちの文明の特徴として、将来的に私たちは4次元の世界において、それを科学技術によって行っていく可能性が高いのですが、5次元以上の世界にまで行くと、意識の力でそれが行えるようになっていくのです。

しかし、4次元の世界であっても、徐々にではありますがテレパシーと言う能力が私たちの経験の中に浸透してくると言われています。

これも、物質と言う型枠からはみ出た経験ですよね。コードで脳みそを繋ぐ訳でもないのに、お互いに意思疎通をする事が出来るようになる訳ですから。

なぜ、人は瞑想をするのかと言うと、そこには人それぞれ色々な意味があるとは思うのですが、1つには、肉体的な型枠を取り外したところでの感覚を捉えていこうと言う試みなのです。

肉体的な型枠と言うのは、「思考(考える)」事によって、無意識のうちに生み出されています。先入観や思い込みのようなものですね。私は肉体的な存在なのだと言う。

そうした「思考を無にして」、ただ「感じるものに意識を集中する」事で、感覚をエネルギー的に捉えていくことが出来るようになって行くんですね。

すると、徐々に肉体的な型枠に沿ったエネルギーの流れが、これまでとは異なった流れ・広がりによって、エネルギー感覚として感じられるようになってくるのです。

偏頭痛の出ている時には、それが酷くなる可能性があるのでやらない方が良いと思いますが、体調の良い時には、瞑想をする習慣を持ってみると良いかも知れませんよ。

胡坐(あぐら)をかかなくても、電車で座っている時、公園のベンチでなど、「思考を休めて、感覚に集中してみる」と言うことです。

私は、寝る前と目覚めてから、ベッドに横になってしばらく瞑想状態に入っています。

目覚めた直後と言うのは、肉体的な型枠がまだ薄く、エネルギー的な感覚を捉えやすい状態なので、特にお勧めです。

一般的にはヒョイヒョイと成果が出るものでもありませんが、習慣的に楽しんで行くことで徐々に継続的な変化を捉えていけるようになると思います。



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