アセンションの時代

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日本の個性・アメリカの個性

バシャール風に言えば、これまでの3次元の現実の中で、私達は輪ゴムを限界まで引っ張られるようにネガティブな現実の中に引き込まれていた訳ですが、今から一気に4次元の現実の中へ飛び込んでいく事になります。

ただ、それは千年・万年単位の時間の中での話であって、一気にとは言っても一年・十年単位での変化にはなりますが。

そうした中で、もっともネガティブな方向へ引っ張られていた国の1つがアメリカであり、そのアメリカでは政治的な面から、急速な変化が表れ始めています。

前回のアメリカの大統領選挙において、民主党の指名候補者選びでは、ネガティブな支配者達の全面支援を受けていたヒラリーさんが、変化を求める若者達の支援を受けたサンダースさんに土壇場まで追い詰められました。

そして、本選では支配者の意向を受けて体裁良く大衆を丸め込むヒラリーさんが、出鱈目だけれど本音を剥き出しにするトランプさんにまさかの逆転負けと言う結果になったのです。

これは、1つの象徴的な選挙であって、こうした権力に組する本命政治家が大衆の押す新人に敗れると言う波乱が、アメリカではチョイチョイと表れ始めてきている様なんですね。

つまり、これまでマスコミが陰謀論として相手にしてこなかった情報を、大衆が身を持った現実の経験の中から、実は真実であったのだと言う事に気づき始めていることの表れでもあるのです。

日本ではそうした表れ方はしていないですよね。まったく。(笑)

それは、国民的・社会的な個性が違っていると言う事なんですね。日本は、まともにぶつかり合う事を嫌い、ぼんやりとぼかしながらの何となくの変化を好むので、言って見れば変化の表れ方が地味だとも言えるのかも知れません。

そのため、選挙でいきなりトップが替わると言うことも起きにくいのです。そもそも優秀な個人が選挙の場に立つと言うこと自体がないんですね。日本では個人に権力が集中することを嫌うので、政治家になったところで結局は何も変えられないことは明白なのです。

そうしたトップダウンではなく、大衆の中から広く変化が広がって行くのが、日本の持つ個性なんですね。

例えば、日本で目に付く変化と言うのは、「パワハラ」の問題ですよね。こうして自分達に手の届く身近な所から、野火の様に変化が拡大して行くのが私達の社会の特徴なのです。

パワハラなんて言うのは、これまでの社会では当たり前の常識であった訳ですが、若者達がその常識を強く否定し始めているんですね。

今のような変化の初期の段階では、アメリカの様にパッとトップを取り替えてそこから大きな変化が拡大されて行く国の方がドラマチックな変化を生み出して行きますが、さらに先に進んで行くと、下地となる大衆の中で変化の熟成が進んでいる日本のような国が伸びて来やすいのだとも言えます。

ただ、日本には富士山噴火・南海トラフ地震・首都直下地震などによって国家機能が麻痺する可能性が高いために、その時にトップダウン式では乗り越えていけないんですね。だから、大衆から熟成していくと言うのが、私達の国民性として適していると言うことでもあるのでしょう。

しかし、世界の変化を切り開いて行くにはアメリカのようなタイプでなければ難しい訳で、結局は良い悪いと言う問題ではなく、どの国どの人にも、それぞれに適した個性と言うものがあり、それらが上手い具合に関係しあってこれからの変化の時代が生み出されていく事になるのでしょうね。



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