アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

マスターへの道

今日は、「感情のコントロール」について書いて見たいと思います。このテーマもコメントから頂いたものではありますが、記事としては私の考えとしてブログを読んでくださる皆さんに書くものであり、個人的な否定・批判的な意図はありません。各自の中で、1つの参考としていかして頂けたらと思います。

結論から先に書いてしまえば単純で、「感情はコントロール出来ません」。

まず、コントロールしたいと言う事は、常には望むような感情が出て来ていないと言う事で、そこにこそ問題があるんですね。

しかし、私達の多くは望ましくない感情が出て来てから、それをコントロールしようとする努力を重ねています。それは、「対処療法」なんですね。

つまり、ケガをしてからそれをカバーする事も確かに大切なのですが、根本的に取り組んでいく必要があるのは、ケガをしないようにする事なのです。

例えば、マスターは怒ってからその怒りをコントロールするのではなく、はじめから怒りと言う方向には感情が向かわないのです。仮にマスターが怒ったとすれば、それは、相手に効率的にメッセージを伝える意図を持っての事だと考えられます。

ここからは、電子書籍自らの経験世界に高次元を映し出す(上下巻)」の復習に入って行きます。

私達の「経験」は、常に一定のパターンの中で起こっています。

「出来事→信念→感情→思考→行動 →出来事・・・・・」

これを総称して経験と呼び、そのパターンの繰り返しが人生だと言う事です。

この流れの中に、私達は自分自身がマスターに向かうための修正(目覚め)を加えて行く事になります。

では、どの部分の修正に取り組めば良いのでしょうか?私達の多くは「思考」の領域からそれに取り組んでいます。つまり、感情でカッと怒ってから、思考でダメだダメだと修正を試みるのです。

これが、先に上げた「対処療法」です。これでは根本的な改善は望めません。その怒りを上手く誤魔化しても、また、何度でも同じ事が繰り返されるからです。

また、「行動」の領域からそれに取り組む人も多いですよね。つまり、その感情を思考で肯定して、「相手に修正を加えようと試みる」のです。

そうしたあり方と言うのは、自らの幸不幸は相手次第だと認める事になるのです。そのために、何かある度に相手に文句を言って怒る事になります。

では、感情そのものに修正を加える事はどうでしょうか?実はそれは出来ないんですね。例えば思考は、考えを進めて行く過程で修正できるのですが、感情は「反射的に湧き上がるもの」であって、とても修正の効くものではないのです。

つまり、私達が根本的に、自らのあり方をマスターへと向かって大きく変化させて行くためには「信念(常識・世界観)」の領域を、根本的にごっそりと新しいものへと取り替える必要があるのです。

そのための取り組みを2冊の本にまとめたのが、電子書籍「自らの経験世界に高次元を映し出す」なんですね。

この本を「思考」の領域で理解する事は、スピリチュアル的な取り組みを進めている皆さんであれば、それ程難しいことでは無いと思います。

ただ、先にも書いたように、それを「思考」の領域に留めていたのでは「対処療法」にしかならず、それを「信念」の領域に深めてこそ本物となるのです。

そうした事を理解した上で、kyo*tさんがコメントでそのための「実践編」と言う部分をツツイテくださって、昨日の記事での「経験を通じて自ら試行錯誤する」と言う返事になったと言う事なのです。

感情は「信念(常識・世界観)」と言うフィルターを通じて、瞬間的に発せられるものです。

そのために、信念を「物質的・分離的・競争的」なものから、「エネルギー(多次元)的・一体的・調和的」なものに取り替える事が大切なのです。

信念が変われば、その後に続く「感情→思考→行動→出来事」の全てが変わり始める事になります。

こうした、信念の取替えを「パラダイムシフト」と呼ぶのですが、それは簡単に進められるものではなく、人生を通じて取り組んで行く必要があるものなのです。

若い世代の人たちは、実際のところ、あまり深いパラダイムシフトを必要としていません。なぜなら、分離的な古い世界観を、はじめからあまり深くにまでは受け入れていないからです。

しかし、私達の多くである中高年の世代にとっては、既に骨の髄まで染み込んでいる当たり前の常識的な世界観を、まるごと取り替える必要があると言う事なのです。

つまり、言ってしまえば、いきなり「信念」を取り替えることは不可能だと言う事です。

そのためには、「思考」と言う表層的な外堀の領域において、古い価値観を捨て新しい価値観を取り込むと言う過程を、何度も何度も繰り返して行く必要があるのです。

信念は世界観と言う1つのまとまりであるために、いきなりそれを取り替えることは不可能ですが、思考は様々な知識として部分の集まりであるために、それをどんどんと新しいものに取り替えて行く事が出来るのです。

そうしてある程度外堀が新しい知識で埋まって来た所で、徐々に信念の領域において世界観がゴロリと入れ替わる気配が出て来る事になります。

この部分の過程には、特に具体的なノウハウの様なものは無いんですね。ノウハウと言うのは具体的、つまり部分的な対応の仕方だと言うことです。つまり、信念の入れ替えに適応できるものではありません。

しかし、思考の領域でならそれを適用できる部分もあるのですが、幅広く進めて行く必要があるために、逆にその都度に具体的な方法を求める事は遠回りになってしまうのです。

ここで昨日の記事に繋がるのですが、「必須」の部分で本質的なあり方を抑えたら、あとの「選択」の部分では、必須で得たものをベースにして、あとは自分で経験を通じてその都度模索して行く方が逆に効率的なのです。それが、大きな視点からの抽象的なノウハウです。

その「具体的な進展を模索する取り組み」が、とてもとても大切であり、昨日も書いたようにその部分を他からのコピーで終わらせてしまうと、マスターのコピー(見た目は同じだけど中身はまるで違う)になってしまうのです。

ただ、他の人の取り組みを「参考」にして、「自分の取り組みを構築して行く」事が有効であると言うことは昨日も書いたとおりです。

昨日のコメントに、私の場合は「必須」が10割で選択にはあまり重きを置いていないと言うようなことを書きましたが、私の場合は時代的にスピリチュアルが今ほど確立されておらず、「必須から経験を生み出す」事を進めていたのと同じように、あるいはそれ以上に「経験から必須を見つけ出す」作業を積み重ねて来たからだと思います。

もらったヒントを活かして、自分で新しい世界観を見つけ出して行く必要があったのです。そのために、今から加速し始める人たちに比べたら、ある意味では数倍の時間をかけて遠回りして来ているのかも知れません。やれやれです。

そんな訳で、簡単な感情コントロールの方法と言うものとはまるで異なる記事でしたが、今日はこの辺にしておきます。

今日書いた記事を詳しく拡大したのが、電子書籍自らの経験世界に高次元を映し出す(上下巻)」です。もし、興味のある方は是非読んでみて頂けると嬉しいです。

あと、毎度のことですが、もし電子書籍を読んで気に入って頂けましたら、アマゾンの書籍販売ページの方から、読者レビューを投稿して頂けると、とてもありがたいです。よろしくお願いします。



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