アセンションの時代

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「変化」は止められない

「存在」するものの全ては、必ず止まる事無く変化を続けているものです。そうした変化を止める事は出来ないんですね。

しかし、そうした変化には、様々に異なるスピードが存在しているのだとも言えます。

例えば、まるで変化していない様に見える石であっても、人間からする悠久の時の中で、ゆっくりと確実に変化を続けており、その変化が止まってしまうと言うことはあり得ないのです。

そうして様々に変化を続ける「存在」の中で、現在、私達の経験世界と言うのは、その変化のスピードを猛烈に加速させ続けています。

例えば、私達の親が生まれた頃には、家電製品の多くは存在さえしておらず、あってもそれは一般的に普及しているものではありませんでした。

田舎では自動車以上に荷台を引く牛がはばを利かせており、舗装されていない道の所々には牛の糞が転がっていたのです。

パソコンは無く、電話も村に数台。その世界が、ここまで加速して来たのだと言う事です。これほど急な加速的変化は、他の時代では経験できないジェットコースター的な変化であると言えます。

そして、私達の世界はこの先の10年で更に急激な大変化へと突入しようとしているのです。

基本的に、私達が物質世界を生きていく上で持つ事になるエゴと言うのは、「変化を恐れる」性質を持っています。エゴが主導する物質世界、特にこれまでの3次元世界においては、変化とは常にネガティブなものを表している事が多かったため、期待以上に不安を感じてしまう事になっていたのです。

例えば、私達の多くは、これから起こる変化をアセンション(次元上昇)として認識し、ポジティブに捉える傾向を持っているかも知れません。

しかし、本当の変化が始まった時に、恐らくほぼ全ての人が強い不安に囚われる事になるのだろうと思います。

実際には、それを恐れる必要はまったく無いのですが、反射的に全身が不安に包み込まれて、これまでの期待等消し飛んでしまう事になりやすいのです。

例えば、今この瞬間に、欧州の○○銀行が破綻したと言うニュースが流れるとともに、世界規模で預金封鎖が起こったとします。

さあ、アセンションへの変化が始まったと喜びますか?

おそらくそれ以降は、一定の小額ずつしか預金をおろす事は出来なくなり、最終的に残りの大半は紙くずになる可能性が高いのだと徐々に分かって来る事でしょう。

それでも日常生活の中では、取りあえず通常通りに出勤をする生活が続いていくのですが、職場は不安で持ちきりです。集金・支払いはどうなる?物流は?この先、職場は大丈夫なのか?

それは1つの例であって、よりハードな場合には、首都直下や南海トラフ地震、富士山の噴火等が考えられますし、ソフトな場合は、混乱を伴いながらも政府の主導によって新しいシステムへの移行が進んで行くのかも知れません。

私達は、実際にそれが始まるまでは、ドラマや映画の様な感覚で漠然と気楽に期待をする向きもあるのですが、それが現実になったとたんに、エゴは恐怖で身体を硬直させてしまうものなのです。

ここからは、いつも書いている事の繰り返しになるのですが、この時に「思考の領域に知識として」アセンションを知っている人も、状況が落ち着くまで等分の間は、そんな知識も綺麗にどこかへ吹き飛んでしまいます。

しかし、「信念の領域に常識として」それを知っている人は、不安を感じながらも、そうした変化を受け入れて、それなりの対処をして行くことが出来るのです。

私達の想像力と言うのは意外といい加減なもので、リアルな現実に直面した時に、まるで想像と違っていたと言う事に気づくことになるんですね。

何度でも繰り返し言いたい事であり、それは私自身に対してもそうして言い聞かせていると言うことなのですが、「知識」を過信してはいけないと言う事です。

私達は「知識」を重視する教育を受けてきたために、知識を持っている事で取り組みがかなり進んでいるのだと誤解する傾向を、とても強く持っています。

しかし、実際の現実の中では、知識と言うのは殆ど役に立たないのです。学者馬鹿と言う言葉がありますが、知っているだけでは意味がないと言う事なんですね。

私達はこの情報過多の時代の中で、スピリチュアルに関する学者馬鹿になっている事が多いと思われます。そして、それを否定すれば、それ以上の前進は望めなくなってしまいます。その上にさらなる知識を積み重ねたところで、学者馬鹿が学者大馬鹿になるだけの事なのです。

知識を得る事は大切なことであり、それ自体を否定する訳ではないのですが、私達は知識を求める段階から、次の段階に進まなければならない時期に踏み込んでいるのだと言う事です。

私達の受けた教育は、いつまでもその場に留まって知識を集め続ける事を教えて来ましたが、それではダメなんですね。

次の段階とは、経験を通じることによって、知識を常識として自分のあり方の中へと浸透させて行く事なのです。

「野球の知識が豊富な野球ファン」と「野球選手」の違いは分かりますよね。

私達は、スピリチュアルな知識が豊富なスピリチュアルファンで終わってはいけないと言う事なのです。誰もが、それを実践できるマスターへと向かって進む事が望まれます。

しかし、それには時間がかかるんですね。知識を覚えるのは簡単なのですが、それを自分のあり方として常識の中に定着させる事は、それ程には簡単に進められず、日常現実の中で経験を通じて時間をかけて取り組んで行く必要があるのです。

今の時代、情報的なサポートはたくさん存在しているのですが、その実践を代行してくれる存在がいる訳ではなく、それは自分で実践して行くしかないんですね。

仮に人生があと30年あるとしても、アセンションと言うタイミングの中でその実践に適した時間は、それ程に長いものではないのかも知れません。

今と言う時を大切に生きて行きたいですね。



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