アセンションの時代

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チェックポイントの通過が続く

これだけを取って即座に大騒ぎをするような事ではありませんが、先ほど終了したアメリカの株式市場で、株価が大きく下落しています。

数年に一度の大きな下げ幅ですが、今年は年初から不安定なので、5度目くらいの事になります。しかし、前の4度と比べると、金融経済における実態的な環境・情勢が、比較にならない程に悪化し続けています。


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日本・アメリカの株価と言うのは、現在かなり高いところにあります。つまり、株を持っている人達は利益・余力があると言う事です。そのために、アメリカでこれだけ下げたからと言って即座に何かの問題が起こる訳ではありません。

ただ、中国の株式市場やヨーロッパの金融株は既にかなり値下がりした状況にあり、投資家や金融機関はかなりの損を抱えて疲弊した状態にあるのです。


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ヤフーファイナンス 上海総合(中国)


それらの市場にこの急落が飛び火するのは自然な流れであり、その加速が止まらなくなると金融市場の底抜けとなって、金融システムの崩壊へと繋がって行く事になるのです。

ただ、そうした過程では、政府・中央銀行等がそれを防ごうとして何らかの対策を打って来るために、今の段階でいきなりシステムが崩壊する可能性は低いのかも知れません。

もちろん、また安定を取り戻す可能性もあるのですが、常識的に考えて今の段階から株を買い進む大口投資家はいないと思うんですね。

私は10年前くらいに占いをしてもらった事があって、エネルギー感覚が表れ始めた切っ掛けも、もとはその占いにあり、今になって見ると結構当たってる気がするんですね。

社会的役割と言うところに、目に見えないエネルギーを感じる能力があり、そうしたものを人に伝える役割がある。また、気功等をやるのに向いていると言うような事も書かれていたんですね。

その頃は、エネルギー感覚も無いし、多次元世界も知らないし、何じゃそりゃ?って感じで苦笑いですよ。それでもまぁ、悪い気はしなかったりと言った感じで。

でも結局、今になって振り返って見ると、役割かどうかはともかくとして、そうした方向に流れている現実がある訳で。

その占いで、来年までの自分の大雑把な流れが書いてるのですが、その内容から社会的な変化を推測すると、今年は急速に社会に危機感が広がって、来年2019年に底が抜けて混乱が広がるって事かなぁとも読み取れるんですね。

そう書いてある訳ではないですよ。自分に対して書かれた事から想像を膨らめて社会の変化を推測すると、そう言うことであるように感じるのです。

そして現実がどうかと見て見れば、ここまでは完全に当てはまっているんですね。ただ、今までの段階では、金融・経済に関心を持つ人たちの間での話しであって、まだ、一般の人たちにまではそうした認識が広がっていない状態でした。

それが、一般の人たちに広がり始める段階が始まったかも知れないと言うのが、先に書いて来た昨夜のアメリカ株の急落です。

ただ、あまり物事を細かく追わない方が良いのだとも思っています。世界の変化は「面」として起こっているものであり、「点」や「線」として起こっている訳ではありません。

仮に、目先は相場が落ち着いたとしても、目先の見えている部分だけではなく、広く全体から雰囲気を感じ取って行く方が大切だと思うのです。

この先、政府等のカバーが入って、これまでの様なのらりくらりとした延命を続けるのか、それとも近いうちに一気に底抜けとなるのかは分かりませんが、大きな流れは確実に崩壊へ向けてのチェックポイントを通過し続けていると言う事は言えると思います。

ここから言いたい事は、昨日の記事とまったく同じです。

これから先の時代は、「知識」は思っている程には役に立たず、「常識」として自分のあり方の中に定着しているものだけが、フル回転で役立って行く事になるでしょう。

例えば、「知識」以上に進歩を進めていない状態では、こうした記事を読むと、おそらく「不安」に囚われる部分が大きく表れると思います。なぜかと言えば、これから訪れる変化は「知識」だけでは乗り越えられないと、自分の深い所で感じ取っているからです。

しかし、「知識」を「常識」へと深める過程を進めている人は、そうした現実を把握しながら、自らの進歩の過程により意識の集中を高め、これからの混乱を自分なりに想定して行く事が出来るのです。

とは言え、誰もがそのどちらか一方に当てはまると言うものではありません。誰もがそうした両面を持っており、知識を自分のあり方として常識に深める方向に意識を向けて行く必要があると言う事です。

「やさしくする事が大切」だと言う知識は誰もが持っていますよね。これまではそうした知識を抑えて、要領よく優しい振りをしていれば、それで上手く社会を渡って行けたのです。悪い言い方をすれば。

しかし、これからの時代はそれだけではダメで、実際に誰にでも優しくすることが出来ている事が大切だと言う事なのです。「ふり」だけではダメなんですね。そうした単なる真似事は、必ず周囲に見透かされる事になります。

難しい事ではないんですね。そうして、知識を常識・あり方の中に浸透させて行くと言う事が大切なのです。それは、人のためでもありますが、自分のためでもあるのだと言う事を知っていなければ、なかなか実践する事が難しいものです。そうした知識を蓄えてきたのが、これまでの私達のスピリチュアル的な取り組みでもあった訳です。

のんびりとしていられる時間はもうありません。かと言って、今ある自分の現実を疎かにして進む事は出来ないのです。

今ある自分を受け入れて、可能なところから確実に、その取り組みを進めて行った方が良いと思います。

横着で空想的なウルトラCによって、幸せの世界に目覚めてしまおうと言うのは、残念ながら出来ない話だと思うのです。

イベントはイベントとしてあるでしょうが、それを活かせるか活かせないかは人それぞれの問題であって、活かせる人はそれまでに小さくたくさんの目覚め・取り組みを重ねている人たちなんですね。

私達は誰もがそうした小さな積み重ねを進めている事は間違いないのですが、それをどれだけたくさん積み重ねて来ているかと言う事が問題なのです。

大きな積み重ねって実際にはあまり無いんですね。あるのは小さな積み重ねで、それが、多いか少ないかの問題なのです。

今の私達に必要なのは、実践です。優しさの大切さを知る時間は終了し、優しくある事を実践して行く事が求められているのです。それは何よりも、「魂としての自分に求められている」と言う事なのです。



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