アセンションの時代

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高次元世界へ駆け出す

今日は本題にはしませんが、株価の下落は続いており、(10日)アメリカ→(11日)日本→中国→欧州→アメリカと、ここまで大幅な下落の連鎖が続いています。

もちろん、その他の国々でも同様かそれ以上の下落の連鎖が広がっており、週末となる今日、どこかでこの連鎖が食い止められてリバウンドの形を作れるのか注目です。

どこにもリバウンドが入らない形で終わってしまうと、さらに週明けの動きへの不安が高まる事になります。一方で、週末には各国政府等が、何らかの対応策を打ち出してくる可能性もあります。

さて、そうした中で感じている事なのですが、結果的に底抜け・崩壊には繋がって来なかったものの、こうした局面はこれまでにも何度と無く経験して来た事です。

先日の記事に書いたように、そうした局面の中で中央銀行・政府の「お金が無いならすれば良い政策(金融緩和)」によって、問題の先送りが図られて来たのです。そうして隠された問題が、凄い勢いで大きく育ち続けていたと言う事でした。

そうした中で、これまでの危機的な局面において「感じていた感覚」と、今「感じている感覚」とが根本的に異なっている事に気づいたのです。

それは、社会的な要因によるものとしての話しではなくて、自分の個人的な感覚の変化と言う意味からそう感じているものだと言えます。

そうした感覚の変化と言うのは色々な側面から感じ始めている事なのですが、理由は明らかにエネルギー感覚の変化に関するものがベースにあるのだと言う事が出来ます。

つまり、肉体からそれを包み込むエネルギー体の側へと、意識の在り処を移動させ続るのに伴って起きている感覚変化なのです。

それはどういう事かと言うと、これまでは危機的な状況が起こると、自分がその中に飲み込まれて行くような感覚がとても強くありました。その危機的な感覚の中に自分が取り囲まれて行くような感覚です。

肉体をベースとした物質世界基準の感覚では、それは当たり前の事でそれに基づいて考えれば、物質世界と言う広大無限の世界の中にポツンと小さな自分がいる事になります。

そして、そこに広がる人間社会に変化が起これば、その変化に飲み込まれる事になるのは、一般的に考えればいたって常識的な事なのです。

これまでは、実際にそれをリアルな感覚として経験して来ていたと言う事です。

ところが今回「おやっ?」と、感覚的に変化を感じたのは、そうして社会の危機に飲み込まれようという切迫感ではなくて、「画面の中に変化が表れだした」と言った様な感じなんですね。それはいつも書くように、気のせいではなくて、(エネルギー的な)感覚を伴うものです。

どう言うことかというと、自分と言う存在の軸足が、外側に映し出されている物質世界よりも、内面的に感じる意識的なエネルギー世界の方に置かれ始めていると言う事です。

それは、「エネルギー感覚」や「意識の置き場所」としては、日常的にそうした模索・変化を進めて来ていた事なのですが、実際に社会的な変化に関する経験においてそれを実感したと言う点において、それはとても新鮮な感覚でした。

覚醒夢を経験した事のある人は多いのではないかと思うのですが、私がここで感じ始めたと言っている感覚は、まさにその覚醒夢の感覚にとても近いものがあります。

目の前の現実をリアルに経験している一方で、自分の本体はその世界の外側にあることに気づいており、実際にその感覚も感じていると言う事です。

今、社会に映され始めている崩壊の気配が、そうした覚醒夢の中に映し出された出来事であるかのように感じられていると言う事です。

例えば今朝方、目覚めてしばらく何をしていたのかを書いて見れば、今朝は珍しく夢を見ていました。ちなみに昨日も夢を見ており、自分としては記憶に残る普通の夢を見ると言う事はとても珍しい事です。

今朝は、砂漠の様な広大な砂浜の向こうに出かけようとしていたら、そこら中にいくつもの竜巻が出来ていたのです。

近づいて画像を取ろうとしたのですが、思いの他、竜巻がこちらに近づいて来たので、地下につながる穴の中に逃げ込んだのですが、それでもなお強い砂嵐の影響を受けてそれに包み込まれたと言うものでした。特に恐怖とかは無くて、思ったよりもデカイなぁと言った感じでした。

そして目が覚めたのですが、その嵐の中に包み込まれている感覚がとてもリアルで、エネルギー感覚の中でその感覚を維持する事と、目を開けて部屋の風景の中で同じような感覚を再現する事とを、エネルギー感覚的に何度も繰り返していたのです。

つまり、夢の感覚と現実の感覚を、同じ視点から経験しようとしていたと言う事です。

エネルギー感覚の中に自分の本体を置いて、そこから夢と言う世界を見たり、物質世界と言う世界を見たりする様な感じです。

例えばそれを、SF映画の様に映像化して理解しようとすると、大きな誤解が生じる事になります。つまり、それは「視覚的イメージ」によって起こっている経験ではなく、「感覚的イメージ」によって起こっている経験なのです。

視覚は経験の重要な要素ではあるのですが、主体は「(エネルギー)感覚」にあると言う事なのです。

経験の主体は「意識と感覚」にあり、視覚や物質(肉体)と言うのは、経験の主体ではなくてそれを支える1つの要素でしかありません。

「考える」事ではなく、「感じる」事に意識を集中してみて下さい。私達が進む方向はそちらにあります。

「考える」と言うのは、物質世界と言う枠組みの中に留まると言う事です。私達は、4次元世界においても物質的な世界を経験して行くために、考える事を放棄してしまう必要はありません。

しかし、そこに偏って来た比重を、「感じる」ことへ大きく移動させる必要があるのです。

「感じる事」の源は、エネルギー的な世界にあります。

私達は、世界を感じて生きています。今この瞬間にも、様々な感覚を感じ取っています。その感覚に意識を向けて行く事がとても大切なのです。

集中してそれに取り組むのが「瞑想」であると言えます。瞑想では、考える事を無にして、感じる事の中へと浸透して行く事が大切です。

普通の状態で人々が「感じている」時、意識がそれを捉えている領域を仮に10%くらいだとします。それを50~70%くらいに引き上げると、意識と感覚は肉体と言う枠を超えて、エネルギー体を捉え始める事になるのです。

%はあくまでもイメージとしての例えであり、何の根拠がある訳でもありませんが、イメージとしてはそう言うことなのです。

私達は3次元的なあり方の中で、高次元という世界を知り始めていますが、実際にそれを現実のものとして心の底から100%受け入れているでしょうか?

私は多分、100%は受け入れられていないです。表層的な知識の領域では受け入れているつもりになっても、信念・意識・感覚と言ったより深い領域が、まだそれを受け入れきっていないんですね。

だから、まだこうして記事に書くくらいの感覚しか捉える事が出来ていません。

しかし、これを100%受け入れる事が出来れば、高次元存在としての視点から、高次元世界を経験する事も可能となって行くと思うのです。それは特に5次元の事なのですが、4次元についても同じ事です。

それは、個人的に特別な事ではなく、人類としてある程度の割合の人たちはそれ(5次元以上)が捉えられるようになって行くと考えられるのです。さらに多くの人が4次元世界の現実を捉えて行く事になります。

空想や情報や将来の話ではなくて、そうした事は、現実として今の中で着々と進んでいる事であり、社会的に口に出しにくくても、実はそうした変化を感じ始めている人たちはいるはずなんですね。

あらゆる面からの変化の加速は、まだまだここからが本番だと思います。



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