アセンションの時代

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「知識だけ」の軽さ

あるゲームがあったとします。みんなでそのゲームに参加する事になりました。

ある人は、スリル満点のそのゲームをとても楽しみながらゴールまで進みました。
ある人は、変化の大きさに混乱しながらも、何とかゴールへは辿り着けました。
ある人は、そのゲームが怖くなって途中でゲームを投げ出してしまいました。

アセンションと言うそのゲームを、どの様に進めて行く事が出来るかと言うのは、人それぞれ各自の「個人的な問題」であって、ゲームの内容や他人の対応に問題がある訳ではありません。

そのゲームを楽しむには重要なコツがあって、それは「スピリチュアル性を向上」させて挑むと言う事です。

ただ、そこにはゲームをゲームたらしめる為の、2つのトラップがあります。つまり、スタートからゴールまで誰でも簡単に進めるのでは、誰もそれを楽しむ事は出来ませんし、何の学びも実のある経験も生まれては来ないのです。

そのトラップの1つは、スタート環境が「スピリチュアル性の向上」を軽んじて、「比較競争に勝つ事」を重んじた社会環境にあると言う事です。

そしてもう1つは、「知る事」を重んじて、「そうある事」を軽んじた教育を受けさせられて来たと言う事なのです。

私達の多くは、1つ目の問題はクリアしつつあります。物質に囚われた比較競争・奪い合いにはホトホト疲れ果てており、スピリチュアル的なあり方に目を向け始めているからです。

そして、「知る事」によって知識の集積も進めて来ました。高次元存在たちのサポートによって、今ではスピリチュアル的な知識は、その気になって探せばそこら中に溢れかえっているのです。

私達はそうした知識を、集めて、集めて、集めて、集めて、集めて、集めて・・・・・。

それが、2つめのトラップであると言う事なのです。

アセンションと言うゲームを楽しんで行くためには、それでは不十分です。そこでは、「知っている」と言う事は単なる下ごしらえに過ぎず、ゲームを楽しむには不完全な状態なのです。

私達は「スピリチュアルを知った状態」から、「スピリチュアルな状態」への移行を、「今」加速させるタイミングの中にいます。

もちろん、早い人たちは既にそうしたトラップをクリアしていますし、そうした問題に気づかないまま混乱の中に囚われて行く人たちもいます。

しかし、それは各自の個人的な選択であり、良い悪いと言う問題ではありません。単純に自分が選びたいものを選べば良いのです。

ただ、これまでに知識を得て来なかった人たちと言うのは、既に知識を選ばないと言う選択を済ませた人たちであって、今から「その実践」を選択するかしないかを選べる状態にはありません。

しかし、私達の多くは取りあえず知識は得て来た訳で、「今」それを実践に移すかどうかの選択の時を迎えられていると言うことなのです。

なぜ「今」かと言えば、社会的な変化が始まったからです。その混乱に完全に飲み込まれてしまう前に、自分の中でその実践を進め、進むべき道筋を捉えておく事が大切なのです。

それをしなければ、おそらく現実社会に吹き付けてくる暴風雨によって、蓄えた知識など簡単に吹き飛んで行ってしまう事になります。

「そんなものは短なる理想論であって、混乱の中では役に立たない。」と言った感じですね。「知っているだけ」と言うのは、それくらい軽いものなのです。

確かにそれは、始めの一歩としてはとても重要なのですが、あまり「知っている」と言う事を過信しない方が良いと思います。

イベント等に依存しなくても、実際に「そうある人たち」と言うのは既に、確実にイベント後の世界へと踏み込み始めています。

ゲームを楽しめるかどうかは、「ゲームが楽しいかどうか」ではなくて、「自分がそれを楽しむ事が出来るかどうか」と言う事なのです。

ゲームストーリーを起承転結で言えば、私達は既に2016年秋以降に始まった「転」の中にまで進んで来ています。そしていよいよ、その「転」の性質が表面化する時間帯に踏み込み始めたのです。

多分この期に及んでも、人間の性質的に「自分を変える」のではなく、「社会の変化を待つ」方向に流れやすいものです。

スピリチュアル的に自分を変えて行くと言うのは、映画やドラマの様に、パッパと結論の出るものではないために、これまでに社会から植え付けられて来た時間テンポにそぐわないんですね。

しかし、それでもなお、自分を変えて進んで行くだけの価値が、アセンションと言うゲームにはあるのだと思います。



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