準備完了してますよね?
個人的な推測であって、そうした未来が決まっていると言う訳ではありませんが、年末年始そして旧正月(2月5日)に向けて、中国の崩壊が始まるのではないかと思っています。
実際にそれは既に始まっているのですが、一党独裁の強権によって報道・統計・デモ・市場などが強引に押さえ込まれているに過ぎません。そうした状態であるにも関わらず、絶望的な情報がそこかしこに表れ始めています。
日本でもバブル崩壊によってそうした経験をしておりますが、それは始まってしまうと、もうなにをどうしても止める事は出来なくなってしまうのです。そして、それが始まっていると言う事です。
韓国も同じ様な状態ですが、国が小さいと言う事から状況が変わる可能性もあるのですが、現状はさらに悪い方向に変わる可能性に向けて一直線に暴走してしまっています。
ただ、これはどこが引き金を引くかと言う視点からの話しであって、世界中の国は実質的にはそれと大差ない状態で、それを隠せているか隠せていないかの違いに過ぎません。
日本はそうした中では、最も小難コースを辿っている様に見えますが、ただ、この国は自然災害と言う爆弾を抱えており、それは不発には終わらない可能性が高いです。
先日も触れた事になりますが、衝突(クラッシュ)して大きな衝撃を受ける時に、状況を把握して正しくそれに備えるのと、無防備で激突するのとではその後の流れも含めて大きな違いが出てくる事になります。
つまり、「急いでシートベルトをするべき時間帯が今」であると思います。
物質的な側面から、短期的・中長期的なそれぞれの備えがあり、精神的な側面から短期的・中長期的なそれぞれの備えがあると思います。
私達にとって最も大切な人生の目的の1つは、スピリチュアル的な目覚めであると言う事が出来ます。
ただ、私達は「この物質的な環境」を選択してそれを進めている訳ですから、その環境の中での障害には、その世界の法則や仕組みに沿って上手く対応して行く必要があります。
つまり、スピリチュアル的にあれば大丈夫なはずと言うのは、そうした対応をとった上での話しであって、この世界の現実・あり方を無視してそれを妄想しているだけでは事は上手くは進まないのです。
例えば、私達は今の人生の中では、基本的にそうした大きな状況変化を経験した事がありません。つまり、慣れておらず、それを恐れています。
恐れているから、それから目を逸らしたくてしょうがなく、目をそらせるための反論を見つけて自分を正当化して逃げてしまうのです。
「核シェルターを建てるなんて無理。食料を何年分も備蓄しても腐ってしまう。」と言った感じに。
しかし、そう言う話しではないんですね。冷静に考えれば分かることなのですが、そんな備えは現実的ではないのです。
何も特別ではない、当たり前の備えをキチンとして置くというだけの事なのです。そして、その多くは、あるタイミングを過ぎてからではもう出来ないと言う事です。
そのタイミングとは、誰もがそれを必要だと考えた時です。その時には、もう遅いと言う事です。震災時の食料品店の棚を思い出せば、イメージできますよね。
出来れば、スピリチュアルなふんわりとした記事を書きたい所ですが、今はそのタイミングではないと思っています。
本音を書くと、この記事は同意してくれる、例えば90%の人たちに向けて書いたものではありません。
同意して備えに動いてくれる、1%の人に向けて書いたものです。
この世界では、「思考」と「行動」の間にはとても大きなズレが生じます。私達は「思考」的にはもうお腹いっぱいの状態でありながら、まだ「行動」をせずに、「思考」のおかわりを求め続けている状態なのですが、それでは救われません。