アセンションの時代

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「夢」の変化

私達は寝ている間に夢を見ますが、そうした夢にも色々な種類があるのだと言われています。

自身の深層心理を反映したものや、寝ている間のエネルギー的な経験を物質的な象徴に置き換えて記憶しているもの、単に記憶の整理の中で浮かび上がって来ているものなど。

私の経験からすると、中長期的に関連性のあるテーマを繰り返し見る時には深層心理を反映しているものであり、リアルな覚醒夢に近い様や夢はエネルギー的な経験に関連しているものである様に思えます。

あとは、デジャブと絡むような正夢に近いような夢も、別の意味でエネルギー的なものであると感じられ、その他の夢は記憶の整理や短期的な心理の中から浮かび上がってくるものかなぁとも思います。

そんな中で、深層心理を反映しているものに当てはまると思うのですが、今年に入ったくらいから、新しいバージョンの夢を見始めています。

それが、本当に深層心理を反映していると言い切る訳ではなく、色々な可能性が考えられる中で、まずそうした可能性がやや高いかもしれないなと言ったくらいの、緩い感じの話しです。

エネルギー的な予知的なものでは無いと思ってはいますが、本当にそうじゃないよなぁと言う心配もあったりして。

以前にも少し触れたことはあると思うのですが、今年に入ってから、ハリケーン等に襲われるような感じの夢を5回くらい見ています。

これらは全て、ハリケーンの中に突入するくらいの所まで記憶があり、基本的にギリギリの所のとっさの判断で身を伏せて、「大丈夫、何とかなりそうだ。」と言った気持ちの所までを記憶しています。

ただ、今になってよくよく考えて見ると、これらは順を追って危険度を増して来ていたと言う事に気が付くのです。

そうした夢を5回くらい見た後で、最近も同じタイプの夢を2回見ているのですが、その結末にどんでん返しが起こっているのです。

まず、前回見た夢は、港で巨大な地震にあい建物や岸壁等が崩れるのですが、これまで同様に「大丈夫、何とかなりそうだ。」と思い実際に何とか揺れは凌げるのです。しかし、その後に直ぐ巨大な津波がやって来て、もう、どうしようもない絶望感に囚われます。

その後で、直ぐ近くの木の生えた小高い砂丘に数人で登ろうとするのですが、他に高い場所が無くて「ダメだ、みんなが助からない。」とやはり同じような絶望感に囚われるのです。

恐怖と言うのはほとんどなくて、始めの緊張感とその後の絶望感が際立って強く感じられました。

そして、次が今朝見た夢なのですが、猛烈に強い嵐の中で、山の斜面にあるガラス張りの建物内に大勢で非難していたのですが、山の下の街の方からビルの様な巨大な螺旋の階段が飛んで来ました。

「大丈夫、何とかなりそうだ。」と思って見ていたのですが、思いのほか非難している場所の方に流されて来て、ガラスの建物を圧迫し始めたので、隣にいた子供を連れてその場を急いで離れようとしたのですが、ガラスが割れて暗闇の中へ落ちて行ってしまいました。

そこで感じたのも、やはり恐怖と言うのはなくて、はじめの緊張感とその後のみんなが助からないと言う絶望感でした。

そこでは、みんなどころか自分も助からなかったのですが(笑)、あまりそうした感覚は無くて、自分は違うところにいるような感じなんですね。ゲームをしている人が、ゲームの外からそれをしている様な感じです。

いずれにしても、そうした夢でとても印象に残っているのが、「凌げたと思った困難が、実は遥かに想定を越えて大きかった」と言う事と、「その場になってからでは、もう自分の力ではどうしようもない」と言う事です。

例えばバシャールと、彼を通じた日本に繋がりの深い高次元存在からの情報によると、確か2014年夏?から10年以内に、日本では古いシステムの崩壊によってこれまでの権力構造が機能しなくなるのだと伝えられています。

バシャールはそこに、5年以内に起こる可能性があるが、遅くても10年以内には起こるでしょうと付け加えています。

現時点で既にそれから4年が経過しています。

ただ、そもそもバシャールを含む高次元存在たちのこうした予測の精度は、実績的に言ってかなり低いです。彼らが口をそろえて言っているように、今のパラレルな時代の変化を正確に予測する事はほぼ不可能であると言うことなのです。

そのために、それに囚われて恐れる必要はありませんし、そんな事をしても百害あって一利なしです。

ただ、既に急速に崩壊を始め、早々に表面化によって一気に加速し始めようとしている社会的な混乱や、日本の場合は地震・火山などの自然災害も含めて、実際にそうした可能性はあり、程度はともかくとしても、そうした可能性が高まり続けていること自体には疑いの余地はありません。

つまり、言いたい事は、その場になってからどうにかしようと思っても、そこからではどうにか出来る余地は殆どないと言う事です。

もちろん、表面的には何とか出来る経験をする人もいるでしょうが、それは既に何とか出来る人であったから引き寄せられた状況であるという事なのです。

宗教的な表現で良く使われるように、これから始まるのは「収穫の季節」なんですね。

収穫の季節が始まってから、収穫してもらえるように急いで成長をしようとするつもりでいるのは、根本的に世界のあり方・状況を理解できていないと言う事です。

大切なのは常に「今」であって、それ以外のどの瞬間でもありません。

私達は頭ではそれを分かっていても、腹の底からそれを受け入れられてはいないために、書いたような夢を私は見ているのかも知れませんね。



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