アセンションの時代

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経験世界の表裏

私達各自の「経験世界」と言うのは、物質世界とスピリチュアル世界と言う両面が合わさった世界です。

この2つの側面を捉える時、物質世界と言うのは「切っ掛け・素材」としての影の世界になります。そして、スピリチュアル世界と言うのは「経験者・主体」としての実態の世界だと言えるのです。

ところが、私達の囚われてきた3次元の経験世界においては、そうした主従関係が逆転していると言う大きな特徴がありました。

つまり、物質世界が主体となって変化が起こり、スピリチュアル世界がそれに振り回されるようにして経験されて来たのです。

いいでしょうか?知識的な表層でサラッと理解するのではなく、そうした現実を噛み締めてもらいたいので、まったく同じ事を繰り返しますよ。

私達各自の「経験世界」と言うのは、物質世界とスピリチュアル世界と言う両面が合わさった世界です。

この2つの側面を捉えるとき、物質世界と言うのは「切っ掛け・素材」としての影の世界になります。そして、スピリチュアル世界と言うのは「経験者・主体」としての実態の世界だと言えるのです。

ところが、私達の囚われてきた3次元の経験世界においては、そうした主従関係が逆転していると言う大きな特徴があるのです。

つまり、物質世界が主体となって変化が起こり、スピリチュアル世界がそれに振り回されるようにして経験が創造されているのです。

それを「本当に理解できている」のが、マスターと呼ばれる人たちです。彼らは、そうした現実を正しく把握し、スピリチュアル世界(自分)に主体を取り戻して、そこから影としての物質世界に自らの創造世界を投影している人たちなんですね。

私達はと言うと、動く影に合わせてアタフタと実態がそれに振り回されているのです。そうして主従が逆転しているために、不安で落ち着くことが出来ずに、人生に疲れてしまう事になります。

マスターの人たちと言うのは、「自分の中に中心軸がある」と言う事が、見ていれば分かりますよね。主従が正しい関係の中で経験の創造が行われているからです。

例えば、社会的に大きな変化の時が近づいていると思われます。

その時に、「自らのスピリチュアルに主体をおいてその目覚めに取り組みつつ、そうした物質世界の状況も把握しながら適度な備えもする」と言う事と、「そうした物質世界の変化に主体をおいて、それに囚われて不安を感じ、過剰な備えを意識しながら息を潜めて待つ」と言うのとでは、どっちがどう言うことか分かりますよね。

私達は物質世界という環境の中で経験をしているために、その環境変化を無視して進む事はあまり得策ではないのかも知れません。完全に目覚めていればそれでも大丈夫でしょうが、基本的に私達はまだ目覚め始めの段階にあるのです。

しかし、だからと言って、そうした外部要因に経験の主体を置いてしまっては、まさに先に書いたような本末転倒・主従逆転の状態を継続中だということになってしまうと言う事です。

物質世界とスピリチュアル世界は、どちらもが私達各自の経験世界にとって、欠かす事の出来ない重要な側面であると言う事が出来ます。

しかし、これまでの3次元的な経験の延長線上で、その主従のバランスを取り違えたままでいると、引き寄せられて来る経験は3次元の延長線上でのものになってしまいます。

必死になって不安から逃れようとするのではアリ地獄に落ちて行く事になります。

スピリチュアルな言葉を噛み締めながら、それを自分の中に暖かく浸透させつつ、社会の混乱に飛び込むのではなく、社会の混乱を俯瞰して行く事が出来たのなら、自然に大難も小難へと変わって行くのかも知れませんね。



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