私達は何を経験しているのか?
目の前に1枚の絵が飾ってあるとします。
10人の人がそれを鑑賞したとします。10人がそれぞれに異なった感想を持ちました。
目の前に同じお菓子が10個あります。
10人の人が1つずつそれを食べました。10人がそれぞれに異なった感想を持ちました。
映画のDVDを借りてきました。
10人の人が一緒にそれを見ました。10人がそれぞれに異なった感想を持ちました。
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そこで、10人が何を経験していたかと言う事なのですが、何が言いたいか分かりますか?
例えば、1つの答えとしては、絵・お菓子・DVDをを経験したと言うことが出来ますよね。それもそれで、1つの答えだと思います。
一般的には、そうした考え方になるのではないかと思います。
でも、スピリチュアル的な世界観からそれを捉えると、10人はそれぞれに「自分を経験している」のだと言う考え方も出来るんですね。
絵・お菓子・DVDと言うのは、自分と言う経験を引き出すための素材に過ぎません。
経験の主体がそうした絵・お菓子・DVDにあるのであれば、誰がそれを経験しても1つの同じような経験が生まれるはずです。
これまでの3次元の世界では、そんな感じでしたよね。
お金=幸せ、テレビ=楽しい、一人の時間=孤独。みたいに、マスコミ等から植えつけられた印象に沿って、皆が同じ経験をしようとしていました。
しかし、経験の主体と言うのは、実は「自分」にあるんですね。
私達は、絵・お菓子・DVDという「素材」を通じて、「自分と言う経験」を引き出しているのです。
この経験世界に映し出されてくる全ての要素と言うのは、「自分と言う存在・あり方」を経験するための素材に過ぎないんですね。
そうしたあらゆる素材を使って、私達は「自分と言う存在・あり方」を経験しているのです。それが、4次元の世界における現実です。
どうですか?皆さんは今、3次元にいますか?4次元にいますか?
今はまだ、タイムラインが分離している途中なので、異なる次元世界へ進む人たちも見ることが出来ますが、今後、数年の内には、異なるタイムラインを選択した人たちは、自分の経験世界の中には見つけられなくなって行きます。
特にそれに不安に感じるような必要は無いのですが、そうした世界の捉え方・感じ方を少しずつ自分の経験に浸透させて行くと、アセンションと言う場合によっては実感のわきにくい出来事が、意外と自分の日常の中に感じられてくるかも知れませんよ。