アセンションの時代

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憑依について

内緒さんから頂いたテーマで、憑依について書いてみたいと思います。

私達が死んだ時に、一番驚くのは「自分は死んではいない」と知る事だと言われています。中には、自分は死んで無になったと思い込むことで、意識・思考が停止した様な状態になる人もいるそうですが、遅いか早いかの問題だけで、全ての人はいずれ自分が死んでいないと言う事に気づく事になります。

そこから先については、その魂の意識のあり方によって、様々に分岐して行く訳ですが、最終的には魂としての純粋な意識状態に戻って行きます。

ただ、まっすくそこに戻って行く魂もあれば、途中でエネルギー的・幻想的な世界に囚われてしまう魂もあり、あるいは、この物質世界に囚われたままで、物質世界の中を彷徨っている魂も多いのです。

そうして物質世界を彷徨っている魂が、たまたま視覚的映像として捉えられたりすると、それが幽霊として認識されると言う事になります。

そうした彷徨える魂が、実際にまだ生きている人の魂と共鳴すると、それが憑依となって表れる事になります。

どんなに憑依が酷くても、もとの魂が追い出されてしまう様な事は無く、あくまでももとの魂が近づいて来た魂に共振(巻き込まれる)事によって、乗っ取られた様な状態になってしまいます。

例え乗っ取られたような状態ではあっても、実際には乗っ取られた訳ではなく強い影響を受けて、振り回されているのだと言う事です。

従って、憑依されると言うことは、自分にその迷える魂に共振してしまう精神的な何かがあると言う事であり、その部分を見つけてこの人なら分かってくれる(共振してくれる)と思って寄って来ると言う事になります。

それは、よく言えば共感力(エンパシー)が強いと言う事かも知れませんし、悪く言えば、自分の中のスピリチュアル的な大黒柱がちょっとぐらついていると言う事かも知れず、原因は人によって様々だと思います。

除霊については良く分かりませんが、その霊に「ここはいるべき場所ではない」と分からせる場合や、波動の高い状態にして追い出してしまうとか、そんな事ではないかと思います。

例えば、古典的な話になりますが、ニンニクをぶら下げたり、塩を撒いたり、あるいは水晶を使ったりと言うのは、それらは波動が高いので、低波動の霊的存在はそれらの近くというのは居心地が悪いのだと言う事です。

ただ、そうした霊的な世界と言うのをまったく無視しているのが、これまでの物質世界であり、そうした問題を扱うのが心療内科・精神科などです。

例えば、本屋に行けば本を勧められ、八百屋に行けば野菜を勧められます。当然の事ですが、病院に行けば薬を勧められるのは、資本主義という社会の構造上避けにくい事でもあるのです。

病院と言うのはボランティアによって運営されている訳ではなく、ビジネスとして運営されています。ここでは話しがそれますので深入りはしませんが、軽いうつ病薬漬けにされて大変な状態にされてしまうと言う例は実際にあるんですね。

全ての病院・お医者さんがそうであると言う訳ではないのですが、そう言うところもたくさんあると言うことです。

そうした社会のあり方・システムが、今から崩壊して、新しく調和的なあり方が構築されて行く事になると言うのが、ここで伝え続けている事になるんですね。

そうした古い社会システムの現実について興味のある方は、電子書籍「愛すべき奴隷である皆さんへ」を呼んでいただくと参考になるかも知れません。



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