アセンションの時代

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「目的」を知ること

今日は久しぶりに原点回帰して、人生の目的について考えてみたいと思います。

このブログを書き始めた頃には、その辺の事が私の世界観の中心にあって、多次元世界だとかエネルギー的な世界と言う世界観はまったく無かったと言うかそういう世界観は知りませんでした。

そう考えてみると、この10年程度で方向性はそのままに、自分の世界観・あり方と言うのはまさに異次元レベルの変化を突っ走って来ているとも言えるのかも知れません。

ああ、それとは関係ないのですが思い出しました。

このブログ記事のを始めたのは2007年なのですが、1本目の記事は3月11日なんですね。4年前になるのですが震災のあった日ですよね。そして、その記事だったか、その日に書いた2本目の記事だったかの投稿時間は、ドンピシャ震災発生の時間と一致してるんですよ。・・・確か。

それはそれとして、私達の人生の目的について考えて見ましょう。

社会一般的には人生には目的なんて無いと思われていますよね。それぞれ、自分が決めたものが目的であって、生命あるいは人間として共通した目的はないと言う事です。

そうした考えがどこから来ているかというと、生命と言うのは「偶然に」誕生したと言う考え方が根本にあるのです。

「偶然」、つまり「目的無く」と言う事です。

だから、生まれて来てからそれぞれに目的を決める事になるんですね。

しかし、そうすると、「殺人快楽者」と「マスター」の行き方に良い悪いを付ける事が出来なくなるのです。良い悪いとは、言い方を変えればより目的に適っているか否かと言う事です。

人類としては目的が無いのですから、個人で決めるしかない、個人で決めるのであれば、どちらがどちらより良い悪いと言う事は決めようが無い。

そこで発明されたのが「多数決」と言う事です。

そして、お金の力によって「多数」をコントロールし支配した人々によって今の社会が生み出されたのだと言う事です。

私達は、そうしてコントロールする人たちがいるから社会が悪いのだとそこに責任を押し付ける陰謀論に惹かれがちですが、実は更に根本的には、自分達の存在目的を持っていない、社会としてのスピリチュアル的世界観の欠如にこそ本当の問題があるのです。

命(魂)としての目的があって、それを叶えるために生きているのか、ただ、吹き込まれた目的(比較競争)に沿って生き残るために生きているのか。

基本的に、(スピリチュアルに関心を持っている)私達の場合は、そうした意味では、社会全体の中では少し前の方を歩いていると言えるのです。

だからこそ、周囲にその思いを「伝える」事が大切だと言う事でもあるんですね。



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