アセンションの時代

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自己投資と経験

私達の価値観は、これまで極端に「お金」に偏って来ました。お金を自分の手元に溜め込む事に価値を見出し、それを幸せのバロメーターとして経験してきたのです。

そして、お金を物とリンクさせて、物への強い執着も持って来ました。

若い世代ほど、サービスに対して価値を見出す傾向を持ち始めていますが、これまでの時代は圧倒的に物に対する価値観が重視され、サービスをオマケの様な位置づけで見る傾向もあるのかも知れません。

だけど、そうした強い執着によって溜め込んだお金と言うのは、実はとても儚いものなんですね。特にこれからの時代の中では、その価値が急激に下がって行く可能性があるのかも知れません。

例えば、リーマンショック以降、日米欧のお金の発行残高は3倍に増えています。しかし、物やサービスの量はそんなに変わっていないんですね。つまり、本来なら3つ100円であったものが、今なら1つ100円になっていなければ物・サービスとお金のバランスが取れないのです。

その仕組みを説明しだすと話しがそれて行くのでそちらには踏み込みませんが、お金の価値とはそれ程に危ういものなんですね。

皆さんは、自分の人生的な経験からお金の価値は安定していると思っているかも知れませんが、お金と言うのはその歴史の中では何度でも繰り返しその価値を喪失しており、皆さんの親や祖父母の世代の人たちはそれを何度も経験していたんですね。

かと言って、お金が必要ないと言う訳ではなく、ある程度の手持ちは必要ですが、貯めれば貯めるほどに幸せになれると言うものではありません。

私の場合は、株などへの投資と言うか投機を通じて、そうした価値の儚さを繰り返し経験して来ました。

私は貧乏性で、あまりお金の使い方を知らずに来たのですが、そうしたお金の儚さを経験して来た事から、自己投資、特に知識に対する自己投資には何の迷いも無くお金をかけてきました。まあ、それもたいした金額ではありませんが。

例えば、「本」ですね。私はそこに、お金とは比較できない程の価値、つまり知識が詰め込まれていると思えば、1万円の本でも何のためらいも無くヒョイと買って来ました。

この先、必要になる知識が詰め込まれていると思えば、買うだけ買って、読まずに本棚に並んでいる様な本も結構あるんですね。そして、暇な時間が出来たらそれを読んでみようと思い、心の中で忘れずに覚えています。

あるいは、若い頃にはスポーツジムやピアノ教室へ通ってみたり、続かなかったけれど、習字教室や水墨画教室等へも行ってみたりしました。

また、日本と言う地域を良く見ておこうと思って、自動車で全国を走りまわって、自然や神社・名所等を見たりと。

その様に、お金と言うのは、使ってはじめて本当の価値を生み出すものなんですね。

私は、本を買って知識を増やし、習い事で趣味を増やし、各地を見て経験を増やし、お金を利用する事でそうして人生と言う機会を自分なりに有効活用しているのです。

そして、それらの全てが、アセンションと言う上昇気流を生み出す力になっていると思うんですね。そうした諸々の経験が、そもそも、人生としての本当の意味だと思うのです。

何もしなければ、その分だけは手元の貯金が増えていたかも知れません。しかし、その事に何の意味があるのでしょうか?人によってはそれが気休めになると考える人もいるかも知れません。

しかし、私であれば、そんなにもお金と言う危ういものに価値を集中させてしまったのでは、それをあっという間に失ってしまうリスクがあまりにも大きすぎると考えるでしょう。そして、その偏った価値を分散させる事を重視し始めると思います。

すると、結局はその最も有効な1つの手段が、自己投資と言う事になるのです。知識を得て、趣味を得て、経験を生み出すと言う事です。それが、そもそもの人生の目的なのですから。

なぜ、今日はこんなテーマで書いたかと言うと、最近ふれだしているセミナーについて、普通に有料での開催を考えていると言うこともあるんですね。

実際問題、無料では場所代等の諸費用を私が持ち出すことになり赤字です。例えば、金銭的に生活苦の人たちを対象にしたセミナーであればそうした選択肢もあると思うのですが、私のセミナーでそれをやったのでは私自身に無理があり、継続不可能なのです。

そんな訳でちょっと調べてみた所、無料では特に講師を置かない勉強会や、主催する団体によって何かの啓蒙と言う事でやっているものがありました。

有料では私の様なまったく普通の個人の人から、有名?っぽい人までチョイチョイとある様で、内容や時間の違いも多少はありますが、2千円くらいから1万・2万円以上まで結構幅があるんですね。

取りあえず私の場合は、2500円くらいでどうかなぁと考えている感じです。これなら、数人来ていただけたら経費はまかなえますし、あわよくば日当くらい残ったらラッキーと言った感じで。

もちろん、無理にと言うか、力んで参加を呼びかけるつもりはありません。その辺で、お互いに無理のないウィンウィンの関係でその場が成り立ったら嬉しいなぁと言った感じで、1度やってみて集まれば集まったように、集まらなければ集まらないように、その先をどうするか柔軟に考えてみようと思っています。

無料で20人集まっても、有料にしたとたん1人も集まらないと言うのはよくある話で、有料の壁と言うのはとても大きいと思うんですね。

実は電子書籍を始めて出した時に、自分が本を買う時にはお金をあまり気にしないと言う事もあって、360円ならある程度はブログの延長で読んでもらえると思っていたんですね。

ところが、実際には全然そうではなかった訳で、料金が高い安い以前に、有料と無料の間の壁を痛感したのでした。もちろん、電子書籍と言う形態に慣れていないなど他の理由もあるでしょうが。

そして、その壁を越えると逆に安かれ悪かれで、安ければ良いと言うものでもないのが難しいところなんですよね。2500円のセミナーより25000円のセミナーの方が効果ありそうですもんね。仮に内容がほぼ同じ、あるいは2500円の方が充実していたとしても。

例えば、私の電子書籍も多くの人に、気に入っていただけたら何冊でも読んでもらいたくて360円に設定しているのですが、「内容は悪くないけど、これくらいなら俺でも知ってる。もっと難しいことは書けないだろう。」的なレビューが書かれる事もあるんですね。

それって、本の内容に対する感想ではなくて、360円で本を出すような素人の癖にいい気になるなよ・・・と言う感じで、360円と言う素人感が悪い方向に出てしまっている例だと思うんですね。

他の人の本でも意外とそうだと思うのですが、その様にレビューって意外と、安いからあまく見てもらえるかと思っていると、逆に出る事も多いんですね。

そんな事で、今日はお金や知識にからめて「価値」と言う事で書いてみました。

ああ、書き忘れましたが、良く死後の世界に持っていけるのは積み重ねた「経験」だけだって言われますよね。私たちは、そうした知識は持っているのですが、現実はお金に固執してしまうと言うように知識が経験に反映されていない事が多いんですね。

初回のセミナーでは、さらなる知識を学ぶと言うのではなく、これまでバラバラに集めてある知識を整理整頓して日常の経験の中に反映させて行く事に重点を置いてみたいと思っています。

つまり、私たちは既に知識のピースをバラバラに持っているのですが、それをキチンと繋ぎ合わせて一体的な絵(日常感・現実感・世界観)として捉えていないために、知っているのに出来ないと言う状態からなかなか抜け出せない傾向にあるんですね。

知識を集めると言う時間帯は終わりつつあり、これからはそれを繋ぎ合わせて自分の中に浸透させる時間帯が始まります。

ピースを持っているだけでは、パズルの絵を経験することは出来ませんよね。パズルのが組みあがって行くと、欠けているピースの部分(持っていない知識)も、周囲とのつながりから想像できるようになりますよね。

既に十分にピース(知識)が集まっているのに、それを組み立てずにまだピースを探しているのでは、どうでしょうか?上手く進んでいけるでしょうか?

これまでやるべきであった事が、これからやるべき事であるとは限りません。これまでの段階をクリアしたら、次の段階へと進んで行く事が自然な流れなのかも知れませんね。



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