アセンションの時代

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パラレルワールド

今月に入ると同時に急上昇しているエネルギーですが、今日もそのまま高状態が続いています。今回も放射線帯電子がそれと一致して強くなっており、そちらの方が今後徐々におさまってくる見通しである事から考えると、現在のエネルギーの高まりも1~3日くらいの内にはおさまって来るのかも知れません。

太陽風が強くなり放射線帯電子が高くなるようなのですが、太陽風が強くなった時点で強いエネルギーを感じ始め、放射線帯電子の高まりがおさまる事でエネルギーが落ち着いてくると言うのが1つの傾向として感じられます。


さて、今日は頂いたコメントからパラレルワールドについて考えてみたいと思います。

パラレルワールドと言うあり方自体は、皆さんそれなりのイメージを持っていると思うのですが、現実としてそれを受け入れる事には、無理を感じられている人が多いことだろうと思います。

その原因は、私達が物質的な世界観に囚われていると言う所にあります。

しかし、自分とは何者であるのかと言う事を「エネルギー的に認識する」事が出来れば、パラレルワールドと言う現実は普通に抵抗無く受け入れる事が出来るのかも知れません。

私たちと言う存在は、そもそもが肉体(物質)的なものではないと言うことを理解する必要があります。肉体と言う経験をしている「意識的なエネルギー存在」と言うあり方が、私達の本当の現実なのです。

実際、肉体(物質)と言うのは、素粒子と言われるエネルギーの結びつきによって生み出されている「波動の低いエネルギー表現」である事は、科学的にも理解されている事です。

こう考えてみて下さい。パラレルワールドと言うのは、「可能性世界」だと言う事です。電子書籍でも、その辺の事に触れたことがありますが、分かれ道に立った時に、自分が右へ進んだ世界・左へ進んだ世界・まっすぐ進んだ世界・引き返した世界等、あらゆる可能性世界がエネルギー(可能性)的に存在しています。

そうした、無限の可能性としてエネルギー的に存在している中から、私たちは自ら選択した可能性を経験として現実化させているのです。

私たちはそこで現実化させた世界だけを経験し、それだけを唯一の現実として経験しているのですが、他のあらゆる世界も常に同時に存在し続けています。ただ、自分の意識がその波動に同調していないために、まるで存在しないかのように感じているだけのことです。

そして、パラレルワールドが存在するのかしないのかと言うのは、「存在」とは何かと言う問題にもなって来ます。つまり、存在とはそれを観測する者(意識)が無ければ、存在するとは言えないのです。

また、そうした様々なパラレルワールドに自分が存在するのかと言う話になると、今度は自分とはそもそも何者なのかと言う所から理解して行く必要が出てきます。

私達が一般的に思っているような、同じ様な容姿・個性等を持ったキャラクターは他の多くのパラレルワールドにも存在していますが、少なくとも今の自分達の意識はそれについては現実化せずに、目の前の現実を選択して経験している訳ですから、私たちの3・4次元的な世界の経験の仕方からすれば、それはあっても無いようなものだとも言えます。

例えば、5次元以上の存在になれば、自分と繋がりのあるキャラクターについて、あらゆるパラレルワールドの中から自分が選んだパラレルワールドの中に5次元の記憶を消して入り、そこからその3・4次元的な経験を始めると言う事も出来るのではないかと思います。

パラレルワールドと言う世界観は、とても面白いテーマだと思います。

ただ、それを理解するためには、その前提となる様々な知識が自分の中で消化されて、物質的な世界観の外側からエネルギー的な世界観に馴染み始めていなければなりません。

つまり、パラレルワールドと言うのは単に1つの分離した知識として捉える事が出来るものではなく、時間・空間・物質・エネルギー・自分・存在・多次元・波動等についてエネルギー的な視点からある程度の認識を持つことが出来て、その上に総括的に捉える事の出来て来るものになります。

ただ、そうしたあり方に対する実感が付いてこないまでも、まずは思考の領域から徐々にそうしたあり方を探求し理解を深めて行く事は、エネルギー的な世界を捉えて行く上でとても有効な試みだと思います。

パラレルワールドに興味を持たれる方と言うのは、ある程度、エネルギー的な世界観に馴染む下地を持っている人であるとも言えると思います。

ただ、先ほども書いたように、それを理解して行くには色々な角度からエネルギー的な世界観に馴染んで行く必要があり、先を急ぐのではなくその時その時の好奇心から、徐々に新しい世界観を自分の中に広げて行く事が良いのではないかと思います。

謎・問題と言うのは、それを解いて行く過程が面白いのであって、それを完全に解ききってしまえばそれ自体は単なる常識となってワクワクするほどの事でもなくなります。

私たちは人類としての経験の歴史の中でも、もっともワクワクする事の出来る多くの謎解きをする事が可能な時間帯の中におり、その機会を大切に好奇心に従いワクワクを楽しんで行きたいですね。



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