アセンションの時代

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自分の「あり方」

私達各自がこの世に生まれて、これまでの期間が目覚め・覚醒のための学びの期間でした。その時間の中でどれだけ目覚める事が出来、今、実際に日常現実の中で自分がどの様にあるかによって、この先、それぞれの選択した未来(波動)に向かってここから一気に駆け出すことになります。

私たちは結局の所、どの程度目覚める事が出来ているのでしょうか?もちろん、それは各自それぞれの個人的な問題であって、全体的にどうだと言うことの出来るものではありません。

ただ、言い方と言うか伝え方が難しいのですが、私たちは自分達が思っている以上に、目覚め・覚醒の本質を理解できていないのかも知れません。

簡単に言ってみれば、私たちはそれを「知識」で計ろうとする傾向があり、自分の「あり方」にはあまり重きを置いてはいないのです。

私達の中にも、「自分のあり方」に重きを置く所にいる人たちもいるのですが、そうした人々は日常のちょっとした集まりの中などで人の前に立つ、あるいは押される様な一部の人々であって、全体的なところにまで広がっていないのかも知れません。

つまり、まだ「知識」に重きを置いて、それを追う段階から進めていなかったり、そもそもスピリチュアル的な目覚めと言う方向性を捉えていないと言う事が多いように感じられるのです。

例えばですが、実際の一人の人の例を挙げて見ますよ。良いとか悪いとかではなくて、単純に自分はどうかと言う視点から読んでみて下さい。

その人は、これまでに多分80万円くらいの募金をして来ています。収入的には決して裕福な訳ではないのですが、お金を払って携帯電話を持ちそれに縛られるくらいなら、調和的な社会のために有効に使ってもらった方がよっぽど有意義だと考えているんですね。そして、途上国の子供の支援や犬猫の殺処分を回避するための取り組み等に寄付をして来たのです。

また、肉食はかなり控えているんですね。食べられるために劣悪な環境で育てられ、伸び伸びと大地の上を走る事も知らずに殺されると言うのは悲しいんですね。この社会にいる訳ですから、完全にそれを食べないと言うことは難しいのですが、可能な範囲で肉食を控えているのです。

そして、台所・洗濯洗剤を一切使っていないんですね。そこで流された洗剤はある程度の浄化はされても、基本的に川から海へと流れ込む訳で、私達の豊かであった自然環境を汚染し続けているのです。また、台所洗剤は肉の脂さえ少なければそもそも使う必要等なく、洗濯洗剤であれば天然の重曹で洗い方を少し工夫すれば普通に綺麗になるんですね。

ゴミの分別も、プラスチックの包装袋まで分別するんですね。すると、埋め立てゴミのカサがとても少なくなります。ミクロレベルのプラスチック片が、魚などを通じて私達の体内に取り込まれ始めている事が徐々に問題になって来ていますよね。

その人は、毎日、朝から晩まで拘束され仕事を命令されると言う、一般的なサラリーマンとしての生活を離れて、自由業としての少ない収入で、過剰消費からは距離を取った生活スタイルを選択しています。そして、その自由な時間の中で興味のあることに取り組み、そこからも少しずつ収入が生まれ始めているのです。

仕事についても相手が支払いに困っていると、ヒョイと請求を少なくしてしまったりする事もあるんですね。それでお互いが無理なく日常をまわしていけるのなら、それも1つの選択肢だと言う事です。自分への支払いで苦労しているのを見るより、気持ちよく感謝してもらった方が場合によっては割が合うのかも知れません。

相手が理不尽と思える事を言った時、指摘をして通じなければ、相手を否定して怒るのではなく必要な距離を取る事で、お互いのあり方を尊重するんですね。その結果、相手が孤立して自分を改める事になれば、その時にまた距離を縮めれば良いのです。

これらは、「知識的」には特別に高度で難しい話ではなく、どれもが簡単に理解できる単純な話しです。

これは1つの考える切っ掛けとして取り上げた話であって、別にお手本と言う訳ではなく、これと同じ選択をしている事が正解と言うものではありません。

ただ、こうした点について、皆さんは自分の日常の中でどの様に自らのあり方を選択できているのかな?と言う事が重要になって来るんですね。

「刈り取りの時間」が始まると言う事は、そうした当たり前の日常の全てに対する、自らの選択したあり方が、それにふさわしい未来を引き寄せてくると言う事なんですね。

物質的な世界観から見ていると、どうしてもアセンション・イベントと言うのは外側の要因によって表れてくるものの様に感じてしまう傾向があります。

しかし、そうして今持っている自分自身の波動が、目の前に世界として投影されると言う事であり、エネルギー的な世界観から見れば物質世界の理屈や法則等何の関係も無く、単純に自分自身の波動が目の前に映し出されて行くと言う事なのです。

いつも書くように、全然心配する必要はないのですが、「自分のあり方」こそが自らの経験世界を映し出すもとになっているのだと言う事を覚えておくことは、とても大切なのかも知れませんね。



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