アセンションの時代

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「自由と暇」の違い

子供が春休みに入っているために、曜日感覚が完全に喪失されています。人間が生み出した、「時間」と言う変化を計るための物差しを使わない生活です。

こんなに曜日と無縁の生活と言うのは、サラリーマンをしていた頃の自分には考えられない生活です。

年・月・週・日(曜日)・時間・分・・・。そうしたラベルの貼られた変化の中を、自分の役柄に沿って流されていたのですが、今の生活は、何の時間的ラベルも無い白紙の空間の中を、自分で何をしようかと考え出して日々の創造を進めて行く感じです。

それでもこの春休みは、子供の進学やもう少しでキリが付く仕事が多少はある訳ですが、次の夏休みなどは自分で考えてポジティブに日常を創造していかなければ、ボ~ッとしている間に自分の外の世界では時間があっという間に飛び去って行きそうです。

「自由」の使い方に、より上手(ポジティブ)に慣れて行かなければいけないなぁと言う事を感じます。

こう考えてみて下さい。

明日から仕事に行かなくていいです。テレビや新聞はもう見ないで下さい。さあ、何をしてもいいですよ。自由です。

私の経験は、1つの節目として2015年頃にそうした状況からスタートしています。

ルンルンで、自由を満喫できたと思いますか?とんでもない。不安・恐れ、完全にもとの状態を目指さないまでも、ある程度、時間に拘束された時間と言うラベルを辿るような日常を自分の中に再構築しようと必死になったんですね。

自由を自由に満喫するなんて、社会に拘束されてきた私は、それが出来るような精神状態では無かったのです。

そして、自由業として何曜日には何をすると言う、元の生活のミニチュア版を作り出したと言う訳です。

それから、ようやく自由な現実に慣れて行くに従って、そこに付けられていた時間的なタグを少しずつ取り外し、ようやく最近になって、ほぼそうした時間タグが無くなったと言う事なのです。

後は、父子家庭の父親として、子供の生活に付いている時間タグに軽く付き合い、冬になると少し自由業の仕事が忙しくなると言った程度です。

ただ、それだけでは、自由と言うよりも暇なだけなんですよね。

自由と言うのは、やりたい事などがあって始めて意味を成すものであって、そうでなければただの暇になってしまうのです。

そう言う意味で、これまでは「自由」の無いところからそれを手に入れて、不安・恐れることなく「自由」である事に慣れるための時間帯でありました。

そして、ようやくそれに慣れて来たと言う事で、ここからはその「自由」をより積極的に活用して行く時間帯に入って行く事になると自覚しています。

まだまだ、「自由」を手に入れながらも、まるでそれを活かしきれていないと言う事は、自分の中で明らかなこととして感じられています。

つまり、「理想の日常」を現実化させて行くのに必要な環境を手に入れていながら、まだそれが、まるで現実化させられていないと言う事です。

それは、これまでの時間を無駄に過ごしてきたと言う意味ではなくて、自由な状態に慣れ、自分の中にそれを落ち着き安定的に定着させ、そこから動き出すための基礎固めの時間帯であったと言う事です。

こうした年単位での前進を、確実に積み重ねて進んでいると言う実感が、何と言うかいい感じに感じられて来ます。

皆さんは、この数年を振り返って、自分の中にどの様な変化を起こして来ましたか?春分と言う大きな節目を越えて行くにあたって、これまでとこれからの流れを俯瞰してみるのには、良い時間帯にあるのかも知れませんね。



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