アセンションの時代

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時間と生きた知識

自由業の仕事の方でボチボチとまとめの資料整理を進めており、文房具をネットで注文しました。

最近はネット注文したものが、翌日に届いたり、不在でも連絡すれば早めに再配達してもらえたりで驚くほど便利になって来ているなぁと実感します。

そんな実感に慣れて来たところ、昨日は不在の連絡表がポストにあって連絡をしたら、明日は日曜日で会社がお休みなので明後日の配達になると言われました。

最近に無い経験であったので、ちょっと驚いてしまったのですが、考えてみればそういったあり方を許容していける社会になっていかないと、結局は労働者としての自分達の首がどこまでも絞められていってしまうよなぁとも思いました。

日本人は時間に対して正確で速い事が長所とされる傾向があり、それはそれとして否定する訳ではありませんが、それは長所であると同時に短所でもあると言う事を自覚し、柔軟に対処して行く事も覚えるとより良いのだろうなぁと思えたりもします。

私が昔パキスタンを訪れた時には、工事現場で仕事をしていた人に道を尋ねたら、仕事をほっぽり出して30分くらいおしゃべりをしながら目的地まで道案内をしてくれたんですね。

さすがにこれは、お金を請求されるのではないかと途中で心配になったのですが、そこに着いたら「じゃあ、あそこだから。」と言ってスタスタともと来た道を帰って行くのです。

ああ、何かあくせく働き続けてばかりいる日本人って何なんだろう?ってとても考えさせられました。

それは、人生を豊かにする経験であった訳ですが、日本ではそんな経験はあまり出来ないですよね。

中国へ訪れた時にも、砂漠の村の外れを散歩していたらタクシーに声をかけられて、ホテルまでタダで乗せて行ってくれた事があるんですね。

そうした経験を受けて、私も地元の駅前で言葉も目的地への行き方も分からずに困り果てていた人を、仕事中に車に乗せて送り届けてあげると言う経験に繋がったりしています。

そうして感謝する経験や感謝される経験と言うのは、人生の宝と言うか忘れられない気持ちを人生に刻むんですね。

お金だ時間だ義務だと雁字搦めに生きるのではなく、ちょっとした日常の中にお互いのゆとりを分け合って行ける様な社会になって行くといいなぁと思いました。

配達が明後日になると言われて「え~っ」と思った自分にちょっと違うなと思って、何が違うのか考えてみたところ、そんな原因が見えて来たと言う感じです。

つまり、ゆとりを大切にと思いながらも、まだそうした思いが100%自分のあり方として浸透しきっていないと言う事であり、それを気づかせてもらうための経験であったのだと思います。

大きな視点からだけではなく、日常の小さく当たり前の中にも、キチンと自分の価値観を表現していけるようにして行きたいです。

知識・思考と自分のあり方の乖離を無くし、よりポジティブな形でそれを表現して行ける様に、つまり、知識を詰め込む段階からそれを自分のあり方として日常現実の中に定着させて行く段階へと、着々と歩を進めて行きたいと思うのです。

勝海舟はこう言ったそうです。「世間は生きている。理屈は死んでいる。」

死んだ理屈的な知識ではなく、日常の中でそれを生かして行ける様になりたいですよね。



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