アセンションの時代

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調和と甘夏ジャム

今年は庭の甘夏が良く実り、3月上旬に収穫した実がダンボールに2箱ねむらせてあります。

まだ、身長ほどの高さの樹なのですが、隔年で収穫の多い年と少ない年があって今年は多かったんですよね~。

基本的に1年分のジャムと、4~6月の間はデザートとしてのシャーベット、近所にいる親へのお裾分けで消費できてしまいます。

本当は、夏場にシャーベットで食べたいところなのですが、そこまで実のまま置いてしまうと中がスカスカになり、凍らせておくと氷っぽくなってしまうんですよね。凍らせて1週間くらいの間が、美味しく食べられます。

シャーベットといっても、厚い皮と中の皮もむいてそのまま凍らせるだけなのですが、これが本当に美味しいんですよ。砂糖の甘さではない自然の甘さと微かな甘酸っぱさが何とも言えず、子供も飽きることなくよく食べます。

ジャムは砂糖はあまり入れない代わりに、蜂蜜を少し入れます。それらの甘さが、甘夏の甘酸っぱさを上回らずにフルーティーな感じが残っているくらいにして、パンに薄く塗るのではなくて、ドサッと乗せて食べます。かなり美味しいですよ。

やや、甘酸っぱさが強すぎたかなと言う時は、6月頃に収穫するビワのジャムと混ぜて食べます。

実は、そうしてミックスで食べるのがいちばん美味しい食べ方です。甘夏の強さと、ビワの甘くボヤケタ感じが、ピタッと上手い具合に合わさるんですよねぇ~。

それに気付く前には、ビワのジャムはちょっとそれだけでは味にボヤケタ感じがあって、食べにくいなぁと思っていたのですが、混ぜて食べるようになってからは、ビワのジャムも重宝するようになりました。

だけど、これらがどうしてそんなにも美味しく感じるのかと言えば、自分の家の庭で収穫して、自分で作るからだと思うんですね。

つまり、素材を贅沢にたっぷり使うと言う事もありますが、自分で収穫して自分で作る事による、精神的な充実感の様な部分も大きいのだろうと思います。

無農薬だし、抜いた庭の草を枯らして土に返してそれが肥料になっている訳だし、若葉が芽吹いたり、蕾がついたり、花が咲いたり、実がなったりするのを日々眺めており、年に一度は剪定で素人なりに考えながら枝を掃っています。

さらに視点を広げて考えてみます。

それらは、放っておけば毎年勝手に庭に実るものであり、タダなんですね。つまり、その部分については自給自足であり、それについてのジャム・おやつ・デザート代を必要とせず、家計にも優しいと言えます。

また、防災や恐慌等の非常時への対策としても、自給自足でそれだけの食料が手に入るという事は、それなりの助けになります。

私たちは、お金とそれを手に入れるための仕事を、生活・人生の大半として生きて来ましたが、そうする事によってあらゆる面で社会に依存し、一旦何かが起これば、途端に自分では何も出来ずに混乱に陥ってしまう様な状況の中にあるのかも知れません。

調和的な生き方と言うのは、自立した生き方でもあると思うんですね。

「賢人は和して同ぜず、凡人は同じて和せず。」と言う言葉があるように、調和と言うのは自分を放棄してみんなと同じ事をすると言うのではなく、自立した自分でありながら、人や自然と仲良く(調和して)生きて行く事だと思うのです。

そうしたあり方と言うのは、食べ物に限らず基本的に家計に優しくあるものです。

スピリチュアル的な世界観の中には、アセンションによって宇宙的なエネルギーがそれを実現してくれると言う考えもある訳ですが、形や方法はどうであれ、こうして自分自身の日常の中にそのエネルギーを取り込んで行かない人達の現実が、魔法によって変わると言う事ではないんですね。

既に私達の経験環境の中には、膨大な量のエネルギーが流れ込んでいます。問題は、エネルギーが来るか来ないかではなく、既に訪れているエネルギーを、自分の日常的な経験の中に取り込んでいるか受け流しているかと言う事なのです。

確かに、ソーラーフラッシュ等によって、より強力なエネルギーが押し寄せてくる事はあるでしょうが、「その時にどうするか」と言う事は問題ではないのです。「その時までに自分のあり方をどうしているか」と言う事が大切になって来るんですね。



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