アセンションの時代

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なぜ人間は不完全に創られたのか

よく、こんな問いかけを見かけます。「神がいるのなら、なぜ神は人間を不完全に創造したんだ!?」と。
その議論の行き着く先は水掛け論となる事が多いのですが、きちんと考えてみれば、自然と答えが出てくるのではないでしょうか。それは「完全では意味がない」からです。

逆説として考えて見ましょう。人間が完全であったのなら。
・成長する事はなくなります。
・個性、多様性は失われます。
・そして何より、経験が失われます。

核心は「経験の喪失」です。なぜ私たち全てが完全であったのなら経験が失われるのでしょうか。
あなたも私も完全であったのなら・・・。全てにおいて差はありません。差があるという事は、優劣が在ると言う事です。完全どうしに差はありません。考え方にも差はありません。従って、何をしたところで一人芝居のようなものです。考えていることがまったく同じなのですから。

美味しい物しか無かったのなら、美味しいという事を経験出来なくなります。美味しいとは不味いに対して美味しいのであり、不味いが存在しなければ美味しいは存在できないのです。存在しても認識(経験)できないと言った方が正しいでしょうか。

例えば神は完全であり全てであるのですから、概念として愛や喜びをもってはいても、それを経験する事は出来ません。経験するためには自分ではない不完全な存在を創造しなければならないのです。完全である神は、自らの内に創造した不完全な世界を通してしか経験する事が出来ないのです。
つまり、人間は多くのことを「経験」するためにわざわざ不完全に創造されたのであり、経験する事に意義があるのです。

神であることの難点は、総体としての神のままでは経験が出来ないという事です。

より良い「経験」についてはまたの機会に。

PS
欧州合同原子核研究所(CERN)で日米ロシアなども協力し、ジュネーブ郊外の地下で14年間かけて建設してきた「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」が完成し、ついに稼働をはじめました。今後、数年にわたって次々と驚愕の世界をあらわにしてくれるものと期待しています。ク~ッ!ワクワクする~!!!

人間の存在意義についての動画です。良かったら見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=e8dOEQEj0KA